温泉健康楽 第26回 「 一夜湯治 考 」

 庶民が温泉に行くようになった江戸時代、温泉といえば湯治を意味していました。
 庶民が湯治目的以外で温泉に向かい、やがて現代にまで続く「歓楽的温泉」が登場するきっかけとなった有名な騒動があります。
 江戸後期の文化2年(1805年)に持ち上がった「一夜湯治」騒動で、舞台は箱根湯本温泉でした。
 慶長6年(1601年)、徳川家康は、街道の要所に宿駅を設定しました。指定された宿駅では、幕府の許可を受けた荷物を無料、もしくは安く隣宿まで運ぶための伝馬と人足の提供が義務付けられ、それが宿駅にとっては大変な負担でした。その代わり幕府は宿駅保護策として、宿場以外の土地での宿泊を禁じました。
 一方、箱根湯本のような湯治場には、もともと1週間以上逗留する湯治客以外は受け入れないという暗黙の了解ともいうべき掟がありました。当時、温泉に行くということは湯治に行くということでした。湯治は1週間1巡りと言われていたように1週間が最短のサイクルだったためです。ところが、箱根湯本温泉で1泊の客を受け入れ始めたのです。

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