榕菴のような偉才であっても、化学者の病理に陥るようです。いや、それが化学者の宿命であるのかも知れません。彼は、人為的な化学物質の離合による複製は本物に優ると思い込んでしまったようです。事実、榕菴は人工ガスが多いほど天然の鉱泉に優ると錯覚し、「鉱泉模造法」の項に相当のページを割きました。

榕菴も錯覚した「鉱泉模造法」が今日も…
もし榕菴が江戸での務めだけでなく、津山(津山藩医だった)にも滞在することが多々あり湯治の経験が豊富だったら、そのような錯覚には陥らなかったと思われます。ただし榕菴の錯覚は、彼が48歳で逝ってから170年以上を経た今日でも、多くの日本人が陥ったたままであることはきわめて残念なことです。温泉化学が榕菴以降、遅々として進歩していないということです。