戦前、藤浪剛一博士は宇田川家の書庫に入る機会を得て、『舎密開宗』外篇に訳述された鉱泉分析以外に、榕菴の温泉化学に関する遺稿を発見しました(『中外医事新報』、1936年4月28日号)。『中外医事新報』誌上にこのことが詳細に発表され、”温泉学者”としての宇田川榕菴の名がようやく温泉研究者の間で知られるところとなります。榕菴没後、何と90年が経過していました。
藤浪博士による榕菴、英菴の遺構発見
宇田川家の書庫に眠っていたのは、玄随、榛斎、榕菴、それに宇田川家8代興斎(こうさい)の和蘭医学関係の書物でした。なかでも榕菴の遺稿がもっとも多く、その大半が舎密開宗に関するもので、未発表の原稿もかなり含まれていたようです。


