読む!?温泉 第19話 榕菴の鉱泉と温泉(下)

 なぜわが国で、鉱泉に代わって温泉という用語を使用するようになったのか、環境庁(当時)自然保護局施設整備課監修の『逐条解説温泉法』(昭和61年=1986年)で、本法の立案者の1人である牛丸義留はこの辺の事情をこう説明しています。

時代に乗り遅れかねない非科学的スタンス

 「第1は語感の問題である。鉱泉の冷たさに比して、温泉のほのぼのとした語感を良しとするではないか。そして、第2には、わが国こそ世界で最も高温泉を有している国であり(外国においては、日本におけるような温度の高い温泉は数える程しか存在しない。)したがって、『温泉』をもって代表せしめることが、この日本の実態に即した用語だと思料せられるからである」
 ここに述べられていることの真偽の程はわからない。確かに日本には高温泉は多いが、外国にそのような温泉が数える程しかないという言葉は当たらないと思われます。温泉の語感は日本人にはほのぼのとした温かさを感じさせることには異論はない。だが、現代ではなく70年程前の日本人に「鉱泉が冷たいとの印象があったのか」と問われれば、必ずしも即「Yes」とはならなかったと思われます。これまで見てきたように、「温泉法」で「冷鉱泉」などというように、”冷たいイメージ”を作り出してきたことは事実であったからです。
 ただ、はっきりしていることは、このような人それぞれ印象が異なる”語感”に逃れることは科学的ではないということです。世界に通用しないということです。”グローバル化”の時代、”インバウンド”の時代を迎えた今日、このような非科学的なスタンスの「温泉」では、時代に乗り遅れてしまいかねないでしょう。

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