読む!?温泉 第8話 現在も使われる化学、植物学用語を生み出す

 「宇田川榕菴は(この)玄白と長英のその中間に一生を終へた人である。その玄白の如く幸福ではなかったにせよ、長英の如く不幸ではなかった。然しともかく、玄白、長英の名が後生人口に膾炙(かいしゃ)されてゐるのに比べて、殆ど榕菴の名の知られてゐないのは、或は最も不幸な科学者の一人ともいふべきか」(木村泰之「宇田川榕菴―その学問の進展と性格」、『中央公論』昭和16年7月号)

杉田玄白、高野長英と並ぶ江戸の科学者

杉田玄白像(早稲田大学図書館蔵)

 杉田玄白、高野長英、宇田川榕菴―、この3人は江戸時代のもっとも優れた科学者と言われています。事実、杉田玄白は日本最初の西洋解剖学の翻訳『解体新書』(1774年)によって、今日でもその名を知らない日本人はほとんどいないでしょう。
 一方、幕末の医師で、オランダ長崎商館のドイツ人医師、シーボルトに師事した高野長英は、江戸期の蘭学者のなかで、オランダ語の読解力にもっとも長けていたと言われています。日本初の生理学書『西説医原枢要(せいせついげんすうよう)』(1832年)を著した後、渡辺崋山等と尚歯会を結成。天保10(1839)年蛮社の獄に連座し、投獄されるも脱獄。6年間潜行生活を送るものの、最後は幕吏に追い詰められて自刃。こうして47歳の数奇な生涯を閉じましたが、長英の名は歴史に刻まれることとなったのです。

このコンテンツは会員限定です。無料の会員登録で続きをお読みいただけます。
無料の会員登録
会員の方はこちら
テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました