温泉を、極める! 第4回 裸の付き合いは日本の入浴文化

 江戸時代の人気の戯作者(げさくしゃ)として知られる式亭三馬(1776~1822)の9冊から成る滑稽本『浮世風呂』(1809~1813年刊行)に、こんな条がある。
 「・・・湯を浴びんとして裸形になるは、天地自然の道理、釈迦も孔子も於三(おさん)も権助も産まれたままの容(すがた)にて、惜しい欲しいも西の海、さらりの無欲の形なり」
 大意を要約すると、「風呂に入るために裸になれば、高名な人や金持ちも貧乏人も皆同じ、無欲の姿でいられる」といったところだろうか。

温泉場で本来の自分に戻る日本の入浴文化

式亭三馬の名作、全9冊からなる『浮世風呂』(文化6年=1809~文化10年=1813)に描かれた江戸の銭湯の様子(所蔵・松田忠徳)

 『浮世風呂』は江戸の銭湯の風俗を、庶民の言葉でおもしろおかしく語った滑稽本だが、この一文ほど日本の温泉文化、入浴文化を端的に表しているものはないのではないかと思われる。
 温泉へ行き、手ぬぐい一本の姿になれば、肩書きも身分も分からなくなる。式亭三馬が生きた江戸時代には、銭湯も温泉場も混浴が当たり前の光景であった。そこでは男女の隔たりすら気にならなくなる。だから肩の力が抜け、疲れがとれたのだろう。ふだん肩を怒らせている人も、逆に自信を無くしている人も、裸になればそう大差はない。ましてや自然環境に恵まれた温泉場となると、本来の自分に戻ることができるというもの。

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