江戸時代には、日本人の90%は農漁村部に暮らしていました。明治時代でも東京より越後の人口のほうが多かった。そして、農漁村で農作業や漁労に従事した庶民が、現在に至る湯治のかたちをつくり、支えてきているのです。
現在のように動力を使った農機具などなかった時代、手作業が主体の田植えや稲刈りは大変な重労働でした。腰を屈めながらの長時間の作業は身体を痛めます。そんな過酷な暮らしの中で、夏の暑さや冬の寒さに耐えられる健康な体を獲得しなければ、そもそも生活が成り立たない。まさに、身体が資本です。
これは漁民にとっても同じで、不安定な船上での力仕事、そして板子一枚下は地獄という過酷な作業場で働いていくためには、身体を癒し、明日へのエネルギーを養うことが何よりも重要なことだったはずです。その役割を担ったのが湯治だったのです。農閑期や漁と漁の合間に湯治に向かい、ゆっくりと温泉の効能を得ながら英気を養いました。
温泉健康楽 第7回 「 湯治という名の“転地” 」
