”温泉教授”の毎日が温泉 第34回 平活斎の「温泉論」~汲み湯(温泉)は海水にも劣る

 有馬温泉のことを調べるために、久しぶりに小澤清躬著『有馬温泉史話』を読み返す機会を得た。昭和13(1938)年に刊行された『有馬温泉史話』は、数ある有馬温泉研究書のなかでも”名著”と言ってもよいだろう。

『有馬温泉史話』のなかにある温泉についての小論

 そのなかに「有馬湯(汲み湯、取り湯)」という項目があり、江戸中期の延享3(1746)年に刊行された『温泉小説』からの引用があった。
 『温泉小説』というのは文学的な小説ではなく、日本人特有の謙った表現で、「温泉についての小論」といった意味である。著者の平活斎に関しては詳細は不明で、姓は杉山、名は方、通称宇八郎。三河出身で天明3(1783)年の没で、生年は不詳。職業も分からないが、江戸時代に温泉入浴法や効能を書くのは大半が医者であったから、平活斎もその可能性は高い。

 「今世俗、とり湯と称して遠境より樽に入れ、とりよせ浴す、医者も善哉(よしよし)と唱(とな)へゆるす事なり、甚誤なり、近くいはば昨日汲おく水と今日新に汲(くむ)水と、水の性ちがう、況(いはん)遠境より熱湯を樽に入れ日数歴てば湯の気はいふに及ばず腐り水になる、此(これ)を浴せば毒あり、十人が八九人まで汲湯にて効ある事を見ず、汲湯に浴せんよりは五木湯、八草湯はるかにまされり、又碧海水と云(いう)あり、本草時珍曰(イハ)ク碧海水煮(にて)浴スレバ風瘵癬(サイセン)ヲ去ル、とあり、碧海水は即チ海水なり、此等は汲湯のくされ水に百倍の効あり、又常の湯に浴すること本草に載たりー」

 現代語訳:今の世間では、「取り湯」といって、遠方の地から、樽に湯を入れて取り寄せて浴するものがある。医者も、それはよいことだと賛成、許している。これは非常な誤りである。身近な例でいえば、昨日汲んで置いた水と、今日新しく汲んだ水とでは水の性質が違っている、まして、遠い地から来て、熱い温泉の湯を樽に入れて持ち帰り、日数を経ると、湯の気はいうまでもなく腐った水になる、これを浴びれば害毒がある、果たして、十人の中、八九人まで汲み湯を浴して効能があったという事を見聞したことはない。従って汲み湯に入浴するよりは、五木湯や八草湯などの湯がはるかにすぐれている。又碧海水というものがある。李時珍の『本草綱目』にいう、「海水を熱して入浴すれば、感冒や疲労や疥癬が治る」と。この碧海水というのは海水のことである。これらは、温泉から運んだ「汲み湯」の腐れた水の百倍もの効能がある。又普通の湯に浴することは、「本草綱目」に載っている。(小笠原眞澄・小笠原春男『訓解 温泉小説』)

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