先客は白人が2名と日本人が1名で、いずれも露天風呂に浸かっていた。私のお気に入りの内風呂は貸し切り状態なのだ。露天風呂には50人や60人は優に入れるだろうが、内風呂も20人は入れる広さである。その内風呂から西日を浴びて白い湯煙が立ち上る光景に我を忘れて見とれてしまった。まるで芸術作品である。

20年前、「列島縦断2500湯」の旅の途上で鹿児島県指宿温泉の立ち寄り湯「殿様湯」で感動して以来の、内風呂に立ち上る湯煙の美しさだった。はっとするような美しさであった。凜として、「これぞ、日本美!」であった。このような場面に遭遇するには込んでいてはもちろん無理だ。写真を撮ることは出来ないので、心眼に日本の温泉美をしっかりと焼き込んだ。これだけでも思い立って車を走らせてきた甲斐があったというもの。
おそらくはこのような光景は日本列島の至る所で目撃されているに相違ない。私と同じように温泉が身近にある生活を送っている人々も大勢いることも知っている。定年を機に引っ越した人もいるに違いない。なにせ海に浮かんだ日本列島自体がさながら湯船なのだから、そのような選択肢は十分にあり得る。 都会の利便性にだけに流されないでいたいものである。一度きりの人生である。人生100年時代である。人の数の分の価値観があって然るべきだろう。都市も地方も、日本中同じような目先の利便性、刹那的な価値観に流され、モノトーンな日本人はどこへ向かおうとしているのか。ホンモノの湯の快感にひたりながら、ふとそう想った。