読む!?温泉 第9話 〝異才〟宇田川榕菴以前の日本の温泉の状況

 宇田川榕菴の温泉分析、温泉化学に入る前に、”偉才”榕菴が登場したころの温泉を取り巻く状況を急ぎ足で見ておこうと思います。
 榕菴の温泉化学が昭和の初期、慶応大学医学部の教授で温泉医学者の藤浪剛一博士によって”再発見”されるまで、榕菴の存在が80年前後も埋もれていたのは、彼がまさに”偉才”であったからと言ういうより他になかった気がします。

わが国独自に蓄積された〝温泉医学〟〝湯治学〟

 奈良時代の『風土記』にも書かれ、鎌倉、室町時代を経て蓄積されてきた当時の”治療学”、”予防医学”としての温泉療法”湯治”は、江戸初期から中期には後藤艮山(こんざん)、香川修徳、柘植龍洲、原雙桂(はら そうけい)、三宅意安(みやけ いあん)、宇津木昆台(うつき こんだい)等の医師たちによって、大陸の影響を受けずにわが国独自の”温泉医学””湯治学”として集大成されていました。

江戸期随一の医学者で、またわが国温泉医学の創始者でもある後藤艮山(1659~1733)。肖像は藤浪剛一『医家先哲肖像集』(昭和52年)より(松田忠徳・所蔵)

江戸期屈指の医学者で温泉学者の香川修徳(1683~1755)。後藤艮山の高弟で、わが国最初の温泉医学書『一本堂薬選』続編を出版した。肖像は日本学士院編『明治前日本医学史』第3巻(1956年)より(松田忠徳・所蔵)

このコンテンツは会員限定です。無料の会員登録で続きをお読みいただけます。
無料の会員登録
会員の方はこちら
タイトルとURLをコピーしました