宇田川榕菴の温泉分析、温泉化学に入る前に、”偉才”榕菴が登場したころの温泉を取り巻く状況を急ぎ足で見ておこうと思います。
榕菴の温泉化学が昭和の初期、慶応大学医学部の教授で温泉医学者の藤浪剛一博士によって”再発見”されるまで、榕菴の存在が80年前後も埋もれていたのは、彼がまさに”偉才”であったからと言ういうより他になかった気がします。
わが国独自に蓄積された〝温泉医学〟〝湯治学〟
奈良時代の『風土記』にも書かれ、鎌倉、室町時代を経て蓄積されてきた当時の”治療学”、”予防医学”としての温泉療法”湯治”は、江戸初期から中期には後藤艮山(こんざん)、香川修徳、柘植龍洲、原雙桂(はら そうけい)、三宅意安(みやけ いあん)、宇津木昆台(うつき こんだい)等の医師たちによって、大陸の影響を受けずにわが国独自の”温泉医学”、”湯治学”として集大成されていました。

