”温泉教授”の毎日が温泉 第27回 温泉の潜在能力を引き出す科学の眼

 駒場の東京大学医学部中央館(医学図書館)の裏、東大医学部付属病院に向かって、エルヴィン・フォン・ベルツの胸像が立っている。
 明治政府は欧米先進国から優れた人材を招聘(しょうへい)する必要性を認め、いわゆる”お雇い外国人”を招いた。その1人にドイツ人内科医師、ベルツがいた。

温泉療法に注目した近代医学の導入者

”日本の近代医学の父”ドイツ人、ベルツ(撮影:松田忠徳)

 ベルツが2カ月の船旅の末に横浜港に着いたのは明治9(1876)年。27歳の青年医師は当初、東京医学校(現東大医学部)内科正教授として2年契約で来日したのだが、後に日本人女性と結婚し、29年もの長きにわたって日本で生活することになる。
 「お雇い外国人医師が日本各地で活躍したが、ベルツほど広範でかつ長期にわたる影響を及ぼした者はない。弟子の数もベルツに匹敵する者はいない。ベルツが日本の近代医学の父と呼ばれるのもこうしたことによるのである」(酒井シズ「エルウィン・ベルツのこと」)
 ベルツは日本の伝統的なものに深い愛情をもって接し、しかもそれに積極的に価値を見い出した。その代表的なものに”温泉”があった。
 ベルツは西洋近代医学のわが国への導入者であった。その同じ人物がわが国の伝統的な温泉療法に注目したことは、彼の優れた資質の賜であっただろうし、日本の現代の温泉を考える上で極めて大きな意味をもった。
 江戸初期に当代随一の医師、後藤艮山(こんざん)が温泉の治療価値を称揚して以来、”湯治”は日本人の間に根強く受け継がれてきていた。後藤艮山はわが国で温泉に初めて科学の目を当てた人物であった。それを”日本の近代医学の父”が認めたのである。その影響は甚大であった。なぜならベルツの存在がなければ、日本の温泉は”遊興的温泉場”でしかなくなった可能性があったからだ。

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