読む!?温泉 第20話 榕菴に触発された越後の”温泉化学者”小村英菴

 ‶温泉化学”という、宇田川榕菴が開拓した新しい研究領域に感奮して、温泉分析に手を染めた医者がいました。小村英菴(1766~1837)です。

郷里の温泉を巡り分析した『越後薬泉』

 英菴は越後国長岡藩の郷士。長崎で蘭学から医学と化学を学び、帰郷後町医として診療の傍ら、越後の温泉を丹念に巡り分析を行い、その成果を『越後薬泉』にまとめています。
 小村英菴の名は、『舎密開宗』外篇にも2、3度出てきます。
 加爾基(カルキ)泉の注にこう書かれています。

 「○本邦諸州にもこの泉が多く、『雲根志』にしるされている上記の石皮とは、湯瓶の内に生ずる牙礆垽(かんぎん)の類のことで、炭酸カルキである。豆州熱海温泉のかけひ筒のなかにもこの礆(かん)を生ずる。越後頸城郡赤倉の新湯は、あふれて小川となり、川底一面に礆を生ずる。その厚さ一寸余で、土地の人はのこぎりでひいて屋根瓦に代用し、温石(おんじゃく)をつくる。これは私の父天倪(てんげい)先生の義弟、長岡の人、小村英菴の話による」

 石油泉の注にも出てきます。

 「英菴の温泉記(『越後薬泉』)によれば、『魚沼郡五日町、三島郡後谷、蒲原郡長福寺その他に多く、みな冷泉であるという。また越後には石油を産出し、火井が多い。同記によれば、石油は苅羽郡妙法寺村、坂田村、三島郡臭水(くさうず)村、蒲原郡天が柄目木(がらめき)の沸壺、観音寺村等に湧出し、沸壺のものが、最も盛んである(以下、略)」

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