”温泉教授”の毎日が温泉 第63回 コロナ禍で、自分と向き合う

行きたいところに行けない苦痛、頓挫した計画

 突如として降って湧いたような新型コロナウイルスに、これほど振り回される1年になろうとは夢にも思わなかった。誰しも同じ想いだろう。
 ワクチンの接種が取りざたされているが、来年になると確実に”日常”に戻れるとの保障はない。「行きたいと思った時に行きたいところへ行ける自由がない」ことが、これほども苦痛だということを、人生で初めて知った。自分の努力だけでは乗り越えることはできない以上、目標すらも立てられないのはなお苦痛だ。
 令和2年の私のメインの計画は頓挫した。この間も、肉体的な衰えを防ぐための努力は続けてきたが、精神的にポジティブな状態を維持することはなかなか難しいと日増しに強く感じている。

人生最大のイベントとなるはずだったモンゴルの温泉制覇

 今年は海外の温泉取材に数回出かける予定であった。
 その中でハイライトはモンゴルになるはずであった。”鉄のカーテン”に閉ざされ鎖国状態にあった社会主義国・モンゴルの大地をこの両足で初めて踏んで、10月末で40年という記念する年であったのだ。日本の4倍の国土に点在する温泉をもっとも気候の良い夏の2か月ほどをかけて制覇する計画は、私の人生の大きなイベントとなるはずであった。
 旧ソ連に次いで世界で2番目に古い社会主義国であった遊牧の民のモンゴルで、1989年から翌1990年にかけて民主化運動が起こり、一党独裁体制は崩壊した。1992年に新憲法が制定され「モンゴル国」となり、モンゴルは民主化への道を歩みだし現在に至っている。
 モンゴル学者であった私がモンゴル科学アカデミーのトップ、B.シレンデブ総裁から3か月の招待を受け、”極寒”のモンゴルの大地に初めて足を踏み入れたのは、民主化運動が勃発する9年前の1980年10月25日。10月とはいえ日中でも氷点下20度を下回っていた。北海道を発ったのはその4日前の21日だったから、最短で丸4日を要した。当時、日本を含めた西側諸国の人間でモンゴルに入国できた例は極めて稀だった。

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