来年の夏のサミット会場となる北海道の洞爺湖温泉街が、私の生まれ故郷です。温泉を産湯に、当時温泉街にあった混浴の共同浴場を“揺りかご”代わりに、幼少期を過ごしました。決して身体は頑強なほうではありませんが、物心ついてから今日まで入院した経験がないのは、両親のお陰であると共に洞爺湖の温泉の賜物だと確信しています。
ただ、子供の頃から扁桃腺があり、日常的な過労から風邪を引きやすい状況にあるため、その予兆があるとたびたび漢方茶の薬を服(の)んで症状を抑えていたものです。
また温泉ブームの到来と共に全国各地での年間100回近くの講演や取材が急増し、体力を維持するために週に4、5本は栄養ドリンク剤を服用する生活でした。札幌の都心に近い平岸に住んでいる頃から時々、片道40分余りをかけて定山渓温泉に通っていました。大学での連続講義を終えクタクタになった後、事故でも起こすのではないかという状態で車のハンドルを握って定山渓温泉へ向かったこともたびたびでした。
ところがひとたび温泉に浸かれば、再び40分の道のりを帰ってきてなお、その疲れはすっかり吹き飛んでしまったものです。
温泉のこのような効能にもっと日常的に接し、住環境を改善することでより精力的に仕事をこなしたい。温泉学の学徒として、そのことを自ら実践すべきではないかと考えたのです。第一、温泉の素晴らしさ、心と体を癒す効能を説きながら、もし自分が疾病になってしまったのでは、その言説も怪しいということになってしまいかねません。
現在の定山渓温泉とは至近距離の、札幌市郊外の藤野に移ってからというもの、大学での講義、ゼミの合間に週5本と月3、4本の連続原稿をこなしながら、さらに月に15回前後も飛行機に乗り、講演、取材に飛び回るハードな生活を送っていますが、風邪薬の消費量は引越し前の5分の1以下、栄養ドリンク剤に至っては月に1、2本に減り、心身ともに快調そのものです。
これは信頼できる温泉のそばにいるという精神的な安らぎと共に、頻繁に浸かる温泉の作用によって私の身体の免疫機能が高まっているからにほかなりません。
私たち日本人の多くは、少なくとも昭和30年頃まではそんな温泉との付き合い方をしていました。それが「湯治」です。湯治とは、私が温泉の近くに引っ越したように、積極的に意識を持って温泉と関わり、その素晴らしさを受け取る行為なのです。
年に数回は温泉旅館に投宿するという方は少なくないでしょう。しかし、これまでの私たちの温泉との関わり方は、おしなべて行楽、あるいは観光旅行の一部というものでした。そんな中で、日本人が連綿と育んできた「温泉文化」を現代にマッチした形で再び根付かせたいと思うのです。