お互いに個性を認め合う。
これは現代人の多くが意識していること。そうだとしたら、入浴に際してもお互いに最低限のマナーは守らなければならない。マナーを守ることで、よそ様も安らぎを得られるし、自分も得られるわけで、よそ様が不愉快な思いをしたら、自分も不愉快になる。そう考えるのが、日本人の”和”の精神であり、同じ湯を共有するうえでの湯浴みの心構えでもある。
〝和の精神〟に包まれた日本の個人主義
欧米のようにバスタブにひとり寂しく身を沈める・・・。これとはまったく異なる入浴文化を、私たち日本人は習わしとしてきた。これを大切に次の世代にもしっかりと伝えていきたい。文化の連続性こそ、私たち日本人を真に癒やしてくれるからである。
個人主義といえば、欧米の専売特許のように思われがちだが、日本にはもっと先を行く個人主義を育てていける土壌があると思われる。それは欧米のような”個人至上主義”ではなく、他人を尊重する”和の精神”に包まれた個人主義である。
”和”が成り立つためには相手を尊重しなければならないわけで、自分の個性ばかりを押しつけていたら和は壊れてしまう。だからといって、個性を抹殺してしまえば心地いい和は生まれない。