温泉を、極める! 第28回 五感を回復する旅人は 

日常から非日常へと意識的にモードを切り替える

 五感が回復しない旅は、つまらないものです。お金さえ払えば贅沢な旅ができるというのは、大きな間違いです。
 避暑のために山の温泉へ行くと、たいていそこには渓流が流れています。自然の力はすばらしく、川の水が気温を下げ、そよ風が快適な環境を提供してくれる。窓を閉め切り、エアコンをガンガン利かせた部屋で猛暑をしのぐ都会の生活では、想像もできない恵みです。
 太陽にだってふだん気づかぬ恵みがあります。都会の夜型生活では、太陽とともに目覚めるなんて決して体感できないでしょう。朝日に起こされ、暗くなったら床に就く。
 こんな贅沢をありのまま享受するには、日常から非日常へと意識的にモードを切り替えなくてはなりません。 

大自然に抱かれた湯を堪能し昇天の趣に浸る

 大学の教え子たちに「温泉の何がいいの?」と尋ねてみると、すぐに「露天風呂の解放感がいい」との答えが返ってきました。
 私の解釈では、「露天風呂は自分の感性を野性に戻せるので、解放感に包まれる」となります。言葉になりにくい、理屈では説明できない不思議な感覚をストレートに翻訳したのが、”解放感”だったのでしょう。
 野性に戻ると、風呂からの景色がなんとまあ美しく見えることか。いままで気づかなかった自分が恥ずかしく思えるほど、すべてが生き生きと感じられるのです。
 耳に心地よい川のせせらぎ、肌を撫でるほのかな風、温泉の香り―。木々の緑にももちろん香りがあり、それが晩秋なら落ち葉となって枝からはらはらと舞い落ちる。
 「これぞ風流!」と感じる心の余裕ができたなら、疲れなんてもう吹き飛んでしまいますよ。大自然に抱かれた湯を堪能し、時間を忘れて昇天の趣に浸る。
 日本人の露天風呂好きは、自然の懐に抱かれながら湯浴(ゆあ)みをすると、五感を野性にリセットされることを知っているからにちがいありません。

「いいよ、楽しいよ」の根底にある心の通い合い

 ふと我に返ると、見知らぬおじさんが隣にいた―。そう、それが混浴露天風呂でした。恥ずかしさも忘れ、思いのほか弾む会話。
 「ふだん口も利かないオヤジ連中と話をしたら、結構楽しかった」、「おばさんとでも意外に会話が成り立ってよかったわ」。
 温泉の旅に出ると、疲れた体は解放され、五感は自然と美しいもの、良質のものを求め始めます。その行き着く先に、たまたま混浴の露天風呂などがあったのです。そこで人の温もりを感じ取るということもあるでしょう。
 「いいよ、楽しいよ」の根底にあるのは、お湯のよさ、自然のよさ、無機質な都会から消滅してしまった、人と人の心の通い合いなのです。

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