温泉の生命線は科学的に‶効く”源泉かけ流し
大正13(1939)年、田名部の円通寺から発行された『奥州南部恐山写真帖』に当時の温泉分析表、効能、温泉療養に関する注意などが記載されているところを見ると、霊場恐山でも温泉を重要視していたことが十分に窺える。
現世の日本人の拝観者には温泉ほど極楽気分を味わえるものは他にそうないだろう。事実、私たちが学生のころは温泉に浸かると、誰からとはなく発する「あぁ~、極楽、ごくらく」といった声が聞こえてきたものだ。だが、ここ30年以上、三途の川のこちら(俗界)では耳にしていない。どうしたことだろうか?
科学が発展し、科学万能主義が色濃く漂う世の中、宗教心が薄れたためだろうか? 温かな湯に全身を沈めた瞬間、素直に感じる幸せ気分こそが心身に‶効く”第一歩となる。科学技術がどれほど発達しようが、人間の肉体が強靱に進化したという話は聞かない。400年前の江戸時代でも、令和の現代でも、精神が肉体をコントロールしていることには変わりない。
その次のステップとして、私個人に関して言えば、科学的にも‶効く”源泉かけ流しで、抗酸化力に優れた温泉の利用を提唱してきた。実は私は極めて情緒的な人間で、浴場の雰囲気を重視する。だが、もっと大切なこと、私のバックボーンは優れて科学であるということだ。したがって、こと温泉に関する私にとっての生命線は‶源泉かけ流し”となる。‶生命力ある温泉”という科学的な意味である。これは洞爺湖温泉の湯を産湯としてこの世に生を賜って以来、現在に至るまで変わりない私の‶温泉哲学”でもある。