
お腹が空いた。お昼を食べていなかったのだ。200メートルほど続く老街にはじつに飲食店が多い。
日本の温泉街にも、もともとラーメン屋や軽食堂、居酒屋、バ-などの飲食店はあったが、基本的に夕食、朝食は温泉旅館でいただくのが習わしであったから、日本人にとっての温泉街はお土産屋や遊戯施設がメインであった。
日本の〝昭和〟を彷彿とさせる烏来の温泉場
ただ近年、大型ホテルのなかに土産物屋や遊戯施設、ラーメン屋、軽食喫茶、バ-等を設えて宿泊客を温泉街へ出さなくなって以来、日本の温泉街の寂れようは目を覆うばかりである。大手ホテルの宿泊客の”抱え込み”によって、温泉街が寂れることは早くから懸念されていたし、私もずいぶん指摘してきた記憶がある。ごく一部の温泉地を除いて、このような状態が30年以上も続いている。その成れの果てはだれもが目にする寂しい”シャッター街”だ。

理知的な地域のリーダーがいた大分県の由布院温泉、石川県の山中温泉、兵庫県の有馬温泉などは、30年前の時代の悪しき流れに逆らって、旅館には最小限の土産物しか置かなかった。その結果、湯町はまるで銀座のような輝きを放っている。
台湾の山間の温泉街・烏来の湯町を見ていると、30数年前の日本の”昭和”の時代を彷彿とさせ、そぞろ歩きをしている私の心身にまで活力が漲(みなぎ)ってくるのを感じる。観光とは本来そういう場に違いない。日々の仕事や生活の疲れをとり、明日への新たな英気を養う場なのだ。エネルギーをチャージする場が、日本人にとっての”温泉場”だったはずだ。それは何も日本人にとってばかりではなく、台湾の人々にも、発展著しいアジアの人々にとっても同じに違いない。