戊辰戦争の傷病兵を癒した傷の名湯、塩浸温泉

すでにふれたように、龍馬、おりょうが塩浸温泉に到着したのは3月17日であった。これは旧暦で、新暦では4月29日。温暖化が進んだ現在よりは寒いとはいえ、若葉が萌える春で、もっとも恵まれた季節の到来であったと思われる。渓流での魚釣り、温泉三昧で手の指の傷も劇的に治り、ピストルで野鳥を撃ったりと、2人の生涯でももっとも幸せな日々であっただろう。
薩摩藩11代藩主、島津斉彬(なりあきら)の命で江戸時代後期の天保14(1843)年に編纂された薩摩藩の地誌や名所を記した有名な『三国名勝図絵』(全60巻)にも、絵図入りではないものの塩浸温泉についての記述が詳しく出てくる。鶴の湯、谷の湯などと呼ばれていたのが後に、温泉の湧出口に白色の沈殿物が付着しているところから”塩浸”との呼称が定着し現在に至っている。