『蒲団』、『田舎教師』などで知られる明治・大正期の文豪、田山花袋が紀行文の名手で、文壇一の温泉通であったことは余り知られていない。
紀行作家としての花袋は、『日本一周』、『山水めぐり』、『旅から』など、60冊近くもの紀行本を残している。その中に数冊の温泉紀行、温泉案内書が含まれており、現代の温泉紀行作家のパイオニアと言ってもいい存在であった。
花袋のもっとも読まれてきた温泉本は、『温泉めぐり』だ。大正7(1918)年12月17日の初版で、476ページの文庫版のしゃれた箱入り。

「山裾の村に夕暮れの烟(けむり)の静かに靡(なび)いてゐるのを見ながら、そこに今夜は静かにゆつくり湯に浸(した)つて寝ることが出来ると思ふほど、遊の興を惹(ひ)くものはない。それがもし名山に近く、渓流もまたすぐれた潺湲(せんかん)(水がさらさらと流れる様子=松田)を持つてゐて、一夜泊るつもりの計画がつい三日四日に及ぶといふやうなことも偶(た)にはあるが、さういふ時には殊(こと)に嬉しい忘れ難い印象を残さずには置かない」
『温泉めぐり』の冒頭部分にこう書かれている。温泉を愛した花袋ならではの文章である。
昨今の、写真とデータをハサミとノリで貼り合わせたカタログ雑誌的な温泉案内書を読み慣れた現代人には、一瞬面食らうような“温泉本”といっていいだろう。目次にこそ温泉名がずらりと並んでいるものの、実際には温泉地ごとに解説されているわけではない。まさにタイトルのように一冊が丸ごと“温泉めぐり”の紀行記で、その中に温泉名が東北から九州まで続々と出てくるのだ。
いみじくも花袋は、“まえがき”に相当する“凡例”にこう記している。
「温泉めぐりと言ふけれども、実は温泉ばかりではなく、温泉を中心にした日本の風景や地形や名勝の描写を心掛けたのが本書である」
もっぱら温泉のこと(温泉に係わる料理、建物、温泉街も含めて)しか書かれていない温泉ガイド本が当たり前になっている昨今の状況を見るにつけ、旅の一部としての温泉を楽しむ心のゆとりというものを取り戻す必要がありそうだ。
花袋の『温泉めぐり』を読むと、もっと視野の広い温泉ガイド本が読みたくなってくる。
この本を読むと、当たり障りのない表現が当然のようなガイド本が氾濫する現代では、そこまで書くのかとの驚きの一方で、文壇一の温泉通・花袋ならではの小気味よい書きっぷりに頷いてしまうことも多い。
たとえば、こんな具合である。
「湯田中から少し行つたところに、安代(あんだい)温泉がある。これは湯田中に比べるとやや小さいが、矢張賑やかでそして淫らである。泉質も違つてゐない。そしてまた都会の人達の行くやうな温泉でない」
『山水小記』(大正6年)など花袋の紀行本を何冊か読むと、東京近郊の温泉では箱根温泉郷が一番気に入っていたことがわかる。それは江戸時代から“箱根七湯”の名で知られていた温泉場であるのに加えて、自然や社寺をめぐる散策コースに事欠かないことも大きかったようだ。
都会からの客は温泉に浸かるだけより、歩くことが好きな行動派の人たちが多い。現在の箱根、塩原あたりでも変わりない。
『温泉めぐり』にこう記されている。
「箱根は何(ど)うしても、夏よりも春の温泉場である。晩春の頃、都会の花の散つた後に出かけて行くにふさわしい温泉である。(中略)渓流の上に照りそふ日影も美しかつた。その晴れやかな光線は、とても夏や秋には見ることの出来ないもので、ぢつと見てゐただけでも、心がそれに融け込んで行つた。この時分に裏山づたいをしたら、それこそのんきで好いだらうと思ふけれど、私はまだそれをやつたことはない」
『温泉めぐり』はベストセラーとなり、大正7年の初版発行以来、わずか4年余で23版を重ねる程であった。更に昭和初期の改訂増補版を経てロングセラーとなる。平成3年に『復刻版温泉めぐり』(博文館新社)、平成9年に『日本温泉めぐり』(角川春樹事務所)が刊行され、90年にわたって読み継がれてきたのである。
私が花袋の感性に驚愕したのは、巻末に「もう二つすぐれた温泉が日本にあるのを私は思はずにはゐられない。沢山書いて来たが何(ど)の温泉場にもすぐれて勝(まさ)つてゐるといふ温泉場が──」
と書き、北海道の登別温泉と台湾の北投温泉(当時、台湾は日本領だった)の名を挙げたことだ。文壇一の温泉通は登別と北投には行ったことがなかった。花袋は476ページの『温泉めぐり』をこう閉じる。
「しかしさうした温泉が内地になくなつて却(かえ)つて外藩にあるといふことは、一種不思議な皮肉を私に感ぜしめずには置かなかった」
60冊近くの紀行本をものにした花袋には、俗化される一方の“内地”の温泉にもの足りなさを感じていたに違いない。まだ入湯したことのない北海道の登別と台湾の北投はいわば花袋の“青い鳥”であった。だが残念なことに、その2湯に浸かったとの報告を目にしたことはない。
登別と北投は現在でも、それぞれ日本と台湾を代表する名湯である。