中国古代王朝の歴代の皇帝は、冬期間は温かい華清池の離宮で温泉療養をしていたことが知られており、唐の第2代皇帝太宗もこの地に「温泉宮」を建造して、後でふれるが太宗の温泉遺構も発掘されている。
楊貴妃のために拡張した、避寒のための温泉宮
第6代皇帝玄宗は楊貴妃のために太宗の温泉宮を拡張して、「華清宮」と呼称を変えた。747年のことと記録されている。華清宮の敷地面積は東京ドームの6、7倍の約8万5000平方メートルというから、中国ならではのスケールだ。

玄宗は毎年秋から翌年の春まで避寒のため楊貴妃を伴い、華清池の温泉で過ごした。唐の詩人王建の七言絶句「華清池」を読むと、華清池では温泉を引湯した温室があって、2月半ばにはもう瓜が食卓に出されていたようだ。
温泉に浸かり、雪のような白いもち肌に磨きをかけていた楊貴妃の湯上がりの楽しみは、”茘枝(れいし)”を食することだったと、現地の中国人から聞いた。産地の中国南部では”果物の王”と言われる茘枝は、白く半透明の果肉が上品で、しかも美味。
当時はまだ珍味で、茘枝を初めて口にしたという白楽天は「噛みて天上の味かと疑ひ、嗅げば世間の香に異なり」と書いた程だった。「一日にして色変じ、二日にして香変じ、三日にして味変じ」(白楽天)というだけに、楊貴妃は毎日南方から早馬で採り立ての茘枝を運ばせ、いつしか”茘枝の道”が出来たほどであったという。