こころまで洗うべきと考える「禊の精神」
日本の神道(しんとう)による禊祓(みそぎはらえ)は、温泉での蘇生の観念と結びついていたと思われます。
古代の天皇が温泉地にたびたび行幸されたのは、温泉に慰安を求めたのではなく、禊をして蘇り、心身ともに清浄になって新しい政(まつりごと)に取り組みたいとの願いからだったと思われます。温泉文化の根源は、かなり多層であったようです。
日本の神道の流れが現代につながるひとつの象徴として、村ごとに残る神社があります。氏神を祀り、鎮守の森を構えた神社は、現代においてもなお、古神道が日本人の精神性の深いところでかかわっていることを物語っているのですが、日本人がからだの表面だけをきれいにするのではなく、こころまで洗うべきと考える「禊の精神」は、まさに古神道そのものといっていいでしょう。
遠い昔、朝廷で重要な儀式を執り行う場合には、公家(くげ)衆が朝早く、川から水を汲んできて禊を施した。あるいは井戸水でからだを洗い、全身を手ぬぐいで拭き清めたり、行水をしたりする禊を、重要な行事の前に行うのは、けっして特別なことではなかったようです。