”温泉教授”の毎日が温泉 第67回 国立温泉博物館の設立を! 温泉資料収集者たちの無念

昭和の内科医のバイブルを記した西川義方博士

通称「青本」と呼ばれ、大正時代から昭和50年代まで半世紀以上にわたって内科医のバイブルであった『内科診療の実際』。絶版となった昭和50(1975)年9月20日発行の第70版3刷(松田忠徳・所蔵)

 20年程前だったか、日本温泉協会の機関誌「温泉」に掲載された当時、日本温泉協会会長で「金太夫」の経営者だった小暮金太夫さんの文章を読んだことがある。
 温泉資料コレクターとしての、西川義方博士と藤浪剛一博士に関するものであった。御両人、とりわけ西川義方博士は私が尊敬する温泉学の先達なので、その内容は鮮明に記憶している。

全2836ページの最終第70版の内、約50ページを温泉療法に割かれているのは内科学と温泉医学の権威であった西川義方博士ならではであろう

 西川義方博士や藤浪剛一博士の名前は、医学や温泉学に係わらないかぎりなかなか接する機会はないに違いない。西川義方博士(1880~1968)は内科医、医学者で、東京医科大学教授等を歴任し、大正天皇の侍医を務めたほどの名医で、”海軍の神様”東郷平八郎も診た。その長男の西川一郎博士も昭和天皇の侍医を務めた名門の家系である。
 西川義方博士は内科の専門書から温泉医学書、温泉健康法の啓蒙書、歌集まで約30冊の著書を著した。なかでも大正11(1922)年初版の内科医師向けの専門書『内科診療ノ実際』は、もっとも新しい改訂版で昭和48(1973)年の70版。昭和50(1975)年に発行された70版3刷のものを私も所蔵しているが、これで絶版となったようだ。半世紀余りも版を更新し続けるという、わが国の医学史上でも驚異的なロングセラーとなった。

昭和27(1952)年に出版された西川義方『侍医三十年』(松田忠徳・所蔵)

 途中から長男、一郎氏との共著となったが、医科学が飛躍的な進歩を遂げた昭和の時代の内科医の文字通りのバイブルで、表紙の色にちなんで通称「青本」と呼ばれていた。
 最終第70版は2836ページもの圧倒されるようなボリュームと豊富な内容で、温泉医療にも結構なページが割かれており、内科学者であり温泉医学者でもあった西川義方博士の実践的温泉医学の集大成の役割も果たしている。
 それこそ日進月歩の激動の時代にあって、50年以上も内科医のバイブルとして重宝されきた事実をもってしても、西川義方博士がいかに秀でた医師、医学者であったか容易に推測がつくだろう。西川義方博士は姉妹編『看護の実際』も著している。

日本の〝温泉学〟の確立を目指し、温泉資料を収集

 じつはこの青本の大正11年の初版をまだ入手できないでいる。13年の第3版『内科診療ノ実際』が私の所蔵するもっとも古いものだ。相当に使い込まれており、裏表紙は剥がれている。なんとか初版を直に手に取って見てみたいというのが目下の願いだ。 
 さて、藤浪剛一博士(1880~1942)も奇しくも西川義方博士と同じく明治13年の生まれである。藤浪剛一博士はわが国の”レントゲン学の祖”とも言われ、慶応大学医学部教授等を歴任した放射線科医で、温泉医学者。著書は西川義方ほど多くはなかったが、このサイトでたびたび紹介したわが国の”化学の祖”であり、また、江戸時代に温泉分析を初めて行った温泉化学の先駆者、宇田川榕庵や、榕庵に触発され温泉化学にのめり込んだ越後の医師小村英庵など、江戸時代に活躍した温泉科学者の資料等の発掘に多大な貢献をした。これらの資料の発掘がなければわが国の温泉研究はかなり遅れていただろうことは想像に難くない。
 西洋医学一辺倒の現在とはまったく異なり、日本では平安時代、とりわけ江戸時代から広く庶民の間にも広がった”湯治”による予防医学が、明治、大正、そして昭和40年代(1970年前後)までは盛んで、したがって西川、藤浪両博士等の研究による温泉医学も隆盛を極め、その存在感は大きなものがあった。
 両博士は温泉医学の実践、指導とともに、日本の”温泉学”の確立をめざし、江戸時代以降の温泉資料の収集にも務めていた。西川義方はある著書のあとがきに、「ゆくゆくは、日本温泉学とも名づくべき著作を就したいと願ひつゞけてをります」と記していたが、残念なことに叶わなかったようだ。

温泉大国にも関わらず温泉博物館・資料館のない日本

 小暮金太夫さんによると、両博士は同時代に生きたため、西川義方博士は主に関西、藤浪剛一博士は関東の古書店等から古書、資料を蒐集するようにしていたという。棲み分けをしていたのである。

藤浪剛一博士の労作、京都の人文書院から出版された『東西沐浴史話』(昭和6=1931年)の豪華な初版本
の表紙(松田忠徳・所蔵)

 藤浪剛一博士は昭和17(1942)年に心臓発作で60歳で亡くなったが、小説家でもあった和子夫人の手によって、翌18年に『乾々斉架蔵和書目録』が自費で出版された。それによると藤浪剛一の蔵書のうち温泉関係の書籍、資料は356点あった。その後、医学書等とともに温泉関係の和本は大阪の武田薬品に引き取られた。現在は武田科学振興財団杏雨書屋に「乾々斉文庫」として保管されている。
 小暮金太夫さんによると、温泉絵図などの刷り物は昭和35(1960)年に東京本郷の古書店から221枚一括で売りに出され、小暮金太夫さんが購入し、その後、彼が開業した日帰り入浴施設「伊香保バーデハウス ベルツの湯」併設の「日本温泉資料館」に所蔵された。私も2、3度見学したことがあるが、その後「ベルツの湯」の経営状態は思わしくなくなり、閉鎖された。藤浪剛一博士が蒐集した日本温泉資料館所蔵の刷り物資料の行方が気になる。木暮金太夫さんが亡くなる前にすでに持ち出されたとの情報も流れていた。
 一方、西川義方博士は昭和43(1968)年に88歳で天寿を全うされただけに、温泉関係の資料もかなりのものだったと推測される。小暮金太夫さんによると、平成7(1995)年、古書店から届いた古書目録に何と西川義方旧蔵温泉資料が86点も載っていたという。

『東西沐浴史話』の本文

 さっそく古書店に連絡をとり、8点を購入することができた。残りは北里大学図書館が一括購入したようだ。古書店によると、西方義方博士の蔵書は長男の一郎氏が保管していたが、一郎氏の他界後、お孫さんの代になって住宅を新築することになり、蔵書を処分したようだ。
 だが私の推測では実際にはこの数倍の温泉書籍、温泉刷り物(版画)などの蔵書があったと考えられる。なぜなら西川義方博士のある著書に温泉資料所蔵リストが掲載されていて、私もこのリストを参考に温泉資料を収集してきたからである。木暮金太夫さんの話は1箇所の古書店から売りに出された蔵書のことだ。温泉絵図などの刷り物は古物商、美術商など別の業者に売却されたに違いない。古書も複数の古書店に引き取られたに違いない。残念なことだが、本にさほど興味がなければ、遺族にとっては場所を占領するだけの厄介な紙の山にしか思えないに違いない。
 よく聞く話だが、永年蒐集してきた資料がこのように散逸されてしまうのは残念至極なことだ。問題はわが国は世界屈指の温泉大国にもかかわらず、未だに国立の温泉博物館、温泉資料館がないことだろう。あれば個人でこのような苦労を重ねることもない。研究等で手元に置きたい資料を買い求めるだけで済むことだろう。

悩ましい、2万点以上の温泉蔵書の次のゆくえ

明治時代に発行されたいかにも伊香保らしい豪華な橋本貞秀・作『伊香保八景』全8枚(上毛伊香保古久屋板)の一部(松田忠徳・所蔵)

 かく言う私の蒐集してきた温泉資料も2万点は下らないと思われる。近い将来これら温泉蔵書の次なる落ち着き先を考えなければならないとしたら悩ましいかぎりだ。実際、数年前から悩んでいる。私の場合はコレクションというより、温泉研究のため、最終的にはライフワーク『日本温泉史』を書き上げる資料としての蔵書である。ただこれまでを振り返って見ると、コレクションにハマるとかなり面白い。もっとも途方もない時間と最後はお金も伴うのだが――。
 小暮金太夫さんは、「今後はこのような温泉資料の収集が困難であることを考えると、もう少し前に御遺族とこのコレクションの保存活用について相談しておけばよかったと今更ながら残念に思われてならない」と述べていた。
 当の小暮金太夫さんのコレクションも散逸した。世の中は無情である。

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