”温泉教授”の毎日が温泉 第51回 銀婚湯温泉の野天風呂

世界一温泉地が多い〝温泉の浮島〟北海道

 私が最初に”道南の名湯”銀婚湯温泉を取材で訪れたのは、昭和58年(1983)の夏の終わりではなかったかと記憶している。
 ”職業として”の温泉行脚は地元北海道から始まった。九州の約2倍の面積、あるいは東北6県に茨城、栃木、群馬等を併せた面積を有する広さがあり、しかも世界一温泉地の多い日本で、最も温泉地が多いのは北海道であったから、”温泉の浮島”北海道はフィールドとしては申し分なかった。そう、世界一温泉の数が多いエリアが北海道ということなのである。

銀婚湯温泉(北海道)の野天風呂(撮影:松田忠徳)

 湯量と高温泉に恵まれている。しかも活火山が多いため湖沼も多く、湖畔、河畔、海岸、渓谷、山岳、火山、島と多彩なロケーションに温泉が湧いている。それがインバウンドブームの昨今、豊かな自然と豊富な食材が外国人を魅了し、圧倒的な集客力につながっているようだ。

道南でしか知られていないローカル温泉

 ただ温泉の数は多くても40年前の北海道の温泉は、道内に住む者でも、登別、洞爺湖、定山渓、湯の川、阿寒湖、川湯、層雲峡ぐらいの温泉しか思い当たらないレベルであった。これに新興の温泉地として知床のウトロや白金、雷電、、、。
 だからそのころの”道南の名湯”銀婚湯は、道南=函館エリアにしか知られていない、ローカルな温泉であった。
 ただし、私が1980年ごろから”職業として”温泉行脚をするなかで、当時すでに200箇所以上あった北海道の温泉地の中で、いの一番に注目した温泉が銀婚湯温泉であった。他に丸駒温泉、十勝岳温泉、養老牛(ようろうし)温泉、ニセコ温泉郷などにも注目した。
 現在も基本的には変わりないが、当時の有名温泉はどこも鉄筋コンクリート造りの大きなホテルが林立し、都会とそう変わりない、没個性的な佇まいだった。一方、先に私が挙げた銀婚湯などの温泉はいずれも木造りの小さな温泉旅館だった。

野天風呂に内風呂、足湯の野趣あふれる貸切風呂

貸し切りの野天風呂群には落部川に架かる吊り橋を渡る(撮影:松田忠徳)

 もともとアクセスが悪い銀婚湯は片田舎の温泉の評価に甘んじていたが、札幌から高速道路が延び、さらには近くの函館まで東京から新幹線が延び、銀婚湯を取り巻く環境はここ10年ほどで激変した。都会客が増え、銀婚湯の評価がより高まってきた。ローカルを意識した銀婚湯の経営哲学が全国的に評価される環境になってきたことは、40年近く銀婚湯を評価してきた人間として我がことにように嬉しい。これからが本当の勝負だろう。
 銀婚湯温泉旅館の敷地内を流れる落部(おとしべ)川を挟んで、「宿泊客専用の貸し切り風呂」がある。5000坪といわれる広い敷地内の散策路の途中に点在する”隠し湯”で、宿泊客はフロントで鍵を受け取って、文字通り野趣溢れる北の大地の野天風呂の醍醐味を味わう。野天風呂が5箇所と内風呂が1箇所、足湯が1箇所、館外にある。
 館内にも露天風呂付きの大浴場が男女それぞれあるから、1泊で落部川の河畔に湧く野天風呂群をすべて制覇するのは、よほど運が良くなければ難しいだろう。というのも入浴客は風呂に入るたびにフロントに鍵を戻し、別の風呂の鍵を受け取らなければならないからだ。しかも安全上、夜の入浴は出来ない。

季節や心持ちでも印象が変わる〝野天風呂〟の醍醐味

 広い北海道に来て、せく必要はない。それぞれの野天風呂の湯をロケーションとともに堪能したら良い。数をこなせば良いと言うわけではない。はるばる北海道まで訪ねてきて、”貧しい入浴”をしないで欲しい。四季折々の季節に2度3度と訪れて、北海道の自然を堪能してもらいたいというのが、経営者の想いにちがいない。
 こと北海道の温泉は自然とともに堪能してこそ、その価値が分かる。ふだんストレスフルな生活をしている都会人にこそ、その違いは分かるはずだ。体を洗うことは忘れて欲しい。本来の”湯浴みの心”に身も心も委ねて欲しい。銀婚湯温泉レベルの風呂になると、同じ風呂でも季節や、私たち入浴者の心の持ち様でまったく印象が異なる。これがまた”野天風呂”の醍醐味でもある。

お湯が足りなくて野天風呂をつくらなかった経営者

 私は一番奥の「トチニの湯」が好きだ。大木をくりぬいた遊び心のある湯船のすぐ近くに、「奥の湯トチニの湯」もある。トチニとはアイヌ語で「栃の木」を意味する。

落部の清流を望む丸太をくり抜いた痛快な野天風呂「トチニの湯」(撮影:松田忠徳)

 それに落部川の河岸段丘に造られた「どんぐりの湯」も野性味がありいかにも北海道の風呂らしい。いずれも銀婚湯の野天風呂群の中で早くに造られたものである。
 今、「早くに造られた」と書いたが、実は銀婚湯の大浴場に併設の露天風呂も落部川周辺のこれらの野天風呂群も、造られたのは遅く、”露天風呂ブーム”が終わるころにようやく造られ始めた。1990年代の終わり頃からであったと思う。
 理由は簡単であった。お湯が足りなかったからだ。源泉かけ流しで湯を提供するにはそのころの湯量では足りなかったのだ。そこが並の経営者と異なる。

マガイモノの温泉が席巻する露天風呂ブーム

緑陰の野天風呂「奧の湯トチニの湯」。ついまどろみたくなる(撮影:松田忠徳)

 露天風呂ブームのなか、当時、温泉旅館に電話をかけ、開口一番「お宅には露天風呂がありますか?」と尋ねる。ところが「申し訳ございません」と宿側が答えると、「ガチャッ」と電話が切れられた。

 「社長、うちにもなんとか露天風呂を造ってください」と社員が哀願する事態が、全国の温泉旅館で起きた。怖くて電話にも出られないのだという。確かに「露天風呂がなければ温泉旅館、ホテルではない」現象が起きていたのだ。
 その結果が現在のように同じ湯を何度も何日も何ヶ月も使い回し、塩素で殺菌する”マガイモノの温泉”が狭い日本列島を席巻(せっけん)することとなった。経営者は得られた湯を目一杯使用するべく大浴場を造るのが常である。だから湯量には余裕がない。そこに突然、降って湧いたような”空前絶後の露天風呂ブーム”で、経営者は同じ湯を1ヶ月も2ヶ月も使い回す”循環・濾過風呂”に内風呂を変えたりして、露天風呂に湯を回す工夫をした。源泉かけ流しと称して、内湯の”廃湯”を露天風呂に”回す”ケースもあった。だから露天風呂の湯は常に汚れていた。

地下から湧く温泉をそのまま提供する経営者の矜恃

落部川の河岸段丘に造られた野天風呂「どんぐりの湯」(撮影:松田忠徳)

 景色も眺められないような、露天風呂とは名ばかりの風呂が都市化した温泉地では雨後の竹の子のように出現した。私は「露天風呂を造らない勇気を持って下さい」と、経営者に求めた。本にも書いた。

 露天風呂のない宿の特集を出そうと雑誌の編集者に声をかけたこともあった。企画ははねられたが、意識して「露天風呂のない宿」で源泉かけ流しの良質の湯、”ホンモノの温泉”を提供している宿を、新聞、雑誌、ガイド本等で紹介したものだ。実際、露天風呂を持たない宿の方が希少価値が出ていた。
 ただ総じて湯量が多く、温度も高い温泉が圧倒的な北海道で、銀婚湯温泉のようにまだ知名度が低かった旅館で露天風呂を持たないのは経営的に厳しかったにちがいない。だからといって、銭湯のような”循環風呂”にしてまで露天風呂を造るのはプライドが許さなかったにちがいない。地下から湧き上がって来た天与の温泉を、そのまま提供をするのが温泉経営者としての矜持(きょうじ)であるからだ。

道南、北海道、日本の名湯へと進化する銀婚湯の哲学

 川口支配人は全国的な”露天風呂ブーム”が佳境に入ったころ、新たな湯脈を得るべく掘削を決断した。河畔に櫓を組み掘削が始まったが、不運にも業者が病に倒れた。ところが支配人が自ら掘削を始めたのだ。その結果が旧泉源を含め5本の泉源、源泉温度60~95度、湧出量は合わせて毎分170リットル。しかも全てが自噴源泉という理想的な湯脈を得たのである。
 天は生真面目な川口支配人に味方したのである。このような温泉の本質を知り、お客さんに最高のものを提供したいという銀婚湯の経営哲学は、北海道新幹線や200万都市札幌と結ばれた高速道路など、アクセスの充実とともに”道南の名湯”から”北海道の名湯”、そして”日本の名湯”へと進化し続けている。

「これぞ、野天風呂!」と叫びたくなる「どんぐりの湯」(撮影:松田忠徳)

本物の価値観を持つ人間が関わって温泉は光を放つ

 銀婚湯温泉旅館については、このサイトの「これぞ、日本の湯宿」で改めて書きたいが、6、7年振りに訪れた銀婚湯の野天風呂群の雰囲気は明らかに変わっていた。草木が伸び、同じ野天風呂からの河畔の雰囲気が明らかに変わっていた。野天風呂は自然と共にある、自然によって活かされているということが強く印象付けられ、学ぶところが多かった。これが都市化した本州の温泉と北海道の温泉の大きな違いだろう。
 川口支配人は”自然”の一部としての温泉を大切にし、5、6年の熟慮の末に新たな掘削を自ら行った。だが、野天風呂群を造って、それで終わりではなかった。5000坪の敷地内に樹木を植え続け、景観づくりに精を出してきたのだ。かつて幾度となく入った野天風呂だったが、全てが新たな野天風呂のようで、感動を新たにすることが出来た。これこそが温泉なのだ。温泉は奧が深い。そこに本物の価値観を持つ人間が関わると、輝きを放つ。

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