”温泉教授”の毎日が温泉 第48回 熊のいない隙に、野天風呂で湯浴みをする

コロナ禍下の宿泊客と宿のサービス

 日本海を望む平田内温泉(北海道八雲町)に宿泊した翌日、早朝から見事な青空が広がった。
 例年なら夏休みに入っているので、北海道西端の漁村もキャンパーや本州や札幌方面からの旅行者の姿でつかの間の夏の賑わいを見せるはずだが、コロナ禍のせいか、宿泊客は他に熟年夫婦2組しかいなかった。
 「ここは初めて泊まるけれど、お湯がこんなに熱いとは」と、昨夜浴場で一緒になった際に1人が私に話しかけてきたものだ。コロナからの開放感だったのだろう。温泉の良さのひとつは見知らぬ人にも気さくに話かけられることだろう。コロナ禍で自宅に閉じ籠もっていたにちがいない。車1台で夫婦2組で函館から来たのだという。
 驚いたことは、風呂場には10分程度しかいないで、すぐに上がってしまったことである。せっかくの温泉がもったいない。海鮮料理がお目当てだったのか。海鮮なら函館でも楽しめるはずだ。湯温は41度で、特別に熱いとは思えなかった。あれでは、朝風呂を楽しむこともなくチェックアウトしたに違いない。結構、このような宿泊客は多いのである。
 なぜか恐ろしくサービスの悪い宿で、夜は9時まで、朝は6時から8時までしか入浴できなかった。しかも露天風呂には湯が入っていなかった。コロナ禍のせいかどうかは不明だ。何もかもウイルスのせいにされたら、ウイルスも立つ瀬がないというものだろう(笑)。

ロケーションにも凄みがある野天風呂

 いや、物事は考えようだ。じつはこの宿の奧、渓谷の林道を4キロほど分け入ると、天然の野天風呂があるのだ。「ひらたない渓谷熊の湯」である。40年ほど前に私が命名した。もっとも昔から地元では「熊の湯」と呼ばれていた。ただ、北海道で熊の湯と言えば、知床半島は羅臼の熊の湯を指す。こちらは国内外からの旅人と地元羅臼の浜の人たちとの裸の社交場で、知名度は全国区である。

一応、男女別の脱衣場はあるが、くれぐれも女性の単独行動は控えたい。本物の熊や熊に似た”生き物”が出没するや知れない(撮影:松田忠徳)

 ただし、知床の熊の湯はコンクリート製のいかにも”造られた”という印象の強い露天風呂であるのに対して、ひらたない渓谷熊の湯の方は、おそらくは江戸時代からのままの天然の野天風呂で、ロケーションにも凄味がある。
 昔は熊が湯浴みする温泉として知られ、「浜の人々は熊がいないすきに入ったものだ」と、地元の人から話を聞いたのは40年も前のことであった。

平田内温泉の湯元、70度以上の弱食塩泉

平田内川の滝を望む江戸時代からの野天風呂「ひらたない渓谷熊の湯」(撮影:松田忠徳)

 その頃は、渦巻く渓流沿いに天然の巨岩の底から湯が湧き上がる正真正銘の野天風呂だったが、20年以上前だったか、男女別の脱衣場が造られていた。このことに関しては、私が熊の湯のことを度々、本で書いてきたためか、訪れる秘湯ファンが増えて、役場の方に脱衣場のリクエストが寄せられたのだ。この点では、反省している。近年は女性の秘湯ファンの方が多かったりするので、時代の要請とも言える。
 ただし、国道から約5キロ、平田内温泉からは約4キロ、この間にまったく人家や建造物はないので、ひとり旅の女性には勧められない。しかも脱衣場こそあれ、天然の岩風呂がひとつあるきりなのだ。
 4キロ下流の平田内温泉の湯元であるこの熊の湯は、源泉で70度以上の高温の弱食塩泉(ナトリウム-塩化物泉)。かつては川水を汲んで薄めて入浴したが、現在ではホースで水が引かれている。

300年以上も前から利用されてきた風呂の名残

 平田内川の中流、豪快な水しぶきを上げて落下する滝の中段の棚に、4、5人が一度に湯浴みできそうな窪みがあって、そこから湯けむりが立ち上っている。現在の熊の湯である。『熊石町史』によれば、この温泉が最初に記録に現れたのは、江戸中期の宝永3(1706)年、310年以上も前のことだから、浜の人たちとの係わりは深い。
 「おらが20代のはじめぐらいまで、よく通ったものだよ。渓畔一帯から温泉が噴き出していて、いくらでも即席風呂ができたなぁ~」
 懐かしそうにこう語ってくれた浜の古老、平塚清治さんのことを思い出した。四半世紀前のことである。
 昨日、宿泊した平田内温泉までここから温泉が送湯されるようになってからは、「渓畔一帯から温泉が噴き出る」光景は絶えたにちがいない。それでも300年以上も前からの浜の人々が、今で言うと銭湯のように利用してきた風呂の名残を残してくれたことに感謝したい。

「熊の湯」を堪能するヨーロッパ人の感性

 野天風呂に下りる手前の林道の果ての道端に、熱湯が噴き出しており、6~7年前に来たときより源泉からの析出物が堆積し小山のように膨らんでいた。大自然の営みの模型を見ているようだった。測定すると湯温は70度を超えていた。
 背の高い青年がひとり現れた。「どこから来たの?」と尋ねると、旭川の近くの滝川市からバイクで来たのだという。
 「よくここが分かったね」
 「昨夜、泊まった八雲駅近くのゲストハウスで、外国人から情報を仕入れたのです」
 冬場にニセコのスキーリゾートで働いていたオーストラリア人やヨーロッパ人が、コロナ禍で帰国しようにも飛行機がなく帰れなくなっているという。私も春先にニセコで同じような話を聞いた。

バイクで立ち寄った中野君と湯を介してしばし話が弾んだ。「最高でした!」と、ご機嫌で、爽やかに立ち去った(撮影:松田忠徳)

 アルバイトをしながら滞在費を稼ぎ、安いゲストハウスで帰国のチャンスを待っているのだ。台湾の女性もいたという。アルバイトが休みの日に周辺に出かけては、自分の目で生の情報を蓄えているにちがいない。
 本来なら滝川の青年は道産子だから、彼が耳寄りの情報を彼らに教える立場かもしれない。ところが実際には逆だから、ヨーロッパ人の感性の良さにはつい私の相好も崩れた。このような外国人なら大歓迎である。憎いではないか。ひらたない渓谷熊の湯を堪能したとは。

過疎化のなかで期待する若者の地方移住

成長し続ける”噴泉塔”。まるで地球の生成期を見るようだ。右上の白い湯気が出ているところで76度台、そこからあふれ出た熱湯が手前の火山湖のような湯溜まりに流れ落ちてくる(撮影:松田忠徳)

 滝川で「米、麦、野菜など何でも作っている」という農家の中野某くんは、熱めの絶景野天風呂に浸かり、これから国道229号を日本海沿いに北上し、一気に滝川へ帰るエネルギーを充電し、爽やかに去っていった。気持ちの良い青年であった。
 自然界では異変が起きているようで、今回訪れた檜山地方で、「最近は夏でも熊が人家付近に出てくる」とよく聞いた。
 過疎化で、また熊のいない隙に入浴する時代が戻りつつあるのかも知れない。個人的にはそれはそれで愉快なのだが、コロナ禍を契機にテレワークの環境整備が進み、地方にも移住する若者が増えてくれるといいのだが。
 とは言っても、最近の日本はいつもかけ声倒れで終わるから過度の期待はしないことにしたいが、そのような日が来ないことには、地方は外国人の労働力に依存しなければならなくなりそうだ。

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