”温泉教授”の毎日が温泉 第78回 群馬の秘湯、尻焼温泉の”川の湯”で、豪快な湯浴みを楽しむ(下)

「とても感じの良い宿」だった「関晴館別館」

 そんなわけで九州の温泉をほぼ巡り終わった後、中国・四国、関西を飛び越えていったん関東周辺へ大移動することにした。

「列島縦断2500湯」の旅の途上、キャンピングカーで取材、執筆した単行本『関東周辺とっておきの秘湯』(平成10年刊)に収録した「関晴館別館」を紹介するページ

 草津経由でキャンピングカーで尻焼温泉を訪れたのは、「関晴館別館」を取材するためであった。列島縦断の旅を終えた2,3年後にも再訪したが、「とても感じの良い宿」との印象が現在に至るまで強く脳裏に刻まれ続けた。
 温泉も清々しかった。内風呂から豊富で山の空気のように澄明な湯がまるで川のように大量にかけ流されていた。露天風呂もまさに秘湯の宿にふさわしく自然の真っ只中にあった。それが今回、廃業し、別の宿に変わっていることを知り、ショックを受けた。「あれほど好感度の高かった宿が、なぜ?」。もっとも最後に訪れてから20年は経過していた。その間の事情は知る由もなかった。

川の流れそのものが風呂という大野天風呂

 気を取り直して、川の湯に入ってから草津へ向かうことにした。かつての関晴館別館のすぐ近くの駐車場にレンタカーを置いて、長笹川に架かる橋を渡る。川の水量は少ないので川の湯はぬるくないに違いない。安堵する。河原に下りると大きな野天の川の湯に、男性が1人気持ちよさそうに浸かっていた。それはそうだろう。プールのような大野天風呂を独占しているのだから。
 「いい湯ですか?」と、声をかけると、
 「最高だよ!」との返事が、笑みとともに返ってきた。

尻焼温泉を流れる長笹川の流れを利用した大野天風呂「川の湯」(撮影:松田忠徳)

 すぐ近くに質素な湯小屋もある。地元の人たちが共同湯代わりに使用している半露天のような岩風呂で、川に面した部分だけ開けており、棚には脱衣籠も並べられている。湯温が高く、厳寒期や雨で川水が増水して川の湯がぬるくなった際には存在感を発揮するだろう。ただ男女混浴で、川の湯と違って共同湯の方は水着や湯浴み着、バスタオル等の使用は禁止である。
 上流に砂防ダムができてからは砂の流出はなくなったが、かつては川底の砂を掘って座り込むと、底から湧く熱い温泉でお尻が焼けたところから、”尻焼”温泉の名がついたのだという。もちろん効能は第一に痔疾。私は今回で3度目だったが、初めてこの大野天風呂を見る人は目を丸くするに違いない。河畔に風呂が造られたということではなく、川の流れそのものが風呂だというのだから。
 ふたつの堰堤(えんてい)の間に25メートル四方はありそうな天然の風呂なのである。もちろん川は流れている。ただし冬はそれなりに寒いし、春の雪解け、梅雨や秋の台風シーズンなどには増水するので入浴にはそれなりに難がある。

常連客の言葉を聞き、自己責任のもと入浴

 近くに旅館が3軒しかないため、他に余計な灯りはなく、7月の星空が綺麗だったことを鮮明に覚えている。今日は峠越えで草津に宿泊することになっているので、青空が広がっているが残念ながら満天の星空を拝むことは敵わない。
 1度に4、5人入浴できそうな共同湯でしばし体を温めた後、川の湯へ移動。20年ほど前の印象と異なる点は、川底の石にずいぶんにこけが生えていて滑りやすいこと。週末や夏休みには家族連れが増え、入浴者の老廃物が川を富栄養化して、コケ類の生息環境が拡大したのだろうか。

地元の住民が利用している河畔の共同湯。天然の岩風呂にあつ目の湯が湧き、4、5人は入れそう。水着類は不可(撮影:松田忠徳)

 「川の中を歩く際には気をつけてださいよ。ここに3度入りに来ると川の湯のプロになれる」
「そうですか、20年振りですが3度目なのでプロになれるかも知れないのですね」
 「もう、ここのプロですよ。つい先日も、おじさんが目の前の堰堤の上を歩き始めたので、『危ないよ~』と声をかけたんだけど、『大丈夫!』と返事が返った瞬間、堰堤の下に滑り落ちてね」
 堰堤の下まで1メート以上はあるだろうし、石もある。暑い季節になると、堰堤の下の方が湯はぬるいため、下で水遊びをする家族連れも多いようだ。
 「それで慌てて、『おじさん大丈夫かい?』と声をかけたところ、『大丈夫、大丈夫』」との返事だったから安心したよ」
 「その瞬間は緊張しているから大丈夫だけど、案外あとで打ち付けたところがあちこち痛むことが多いからね」とは、私の弁。
 「そうそう、噂では、その後が大変だったようだよ」
 365日24時間、自己責任のもとに入る入浴無料の痛快な大野天風呂だが、それなりのリスクもあるということだ。常連客の言葉にも聞く耳を持つことは必要なことに違いない。

話し相手が欲しくなる?プールのような巨大風呂

 しばらく話し相手がいなかったのか、先客の話がなおも続いた。
 「どこから来たの?」
 「札幌から」
 「北海道に登別という素晴らしい温泉があるでしょう。それでなぜこんなところまで、群馬まで来なくてもいいいでしょう」
 「草津に泊まりに来たついでに、20年振りに尻焼の様子を見に立ち寄ったということで―」
 「尻焼温泉は最近はぱっとしないけれど、川の湯は最高。何度来ても飽きが来ない。湯温も微妙に違うし、辺りの自然もね」
 「そうですね。自然の奥深さとはこういうことを言うのですね」と私。先客は温泉に相当に通じている。
 彼はまだまだ話をしたいようだ。プールのような巨大風呂に一人で浸かっていると、話し相手が欲しくなるのも致し方ない。
 「駐車場に軽ワゴン車が駐車していたでしょう?」
 「お尻にシートを被せた車?」
 「そうそう。あの車、私が見るところもう2年はここにいるよ」
 「湯治しながら、車中泊しているのではないですか?」
 「それがどうも湯治ではないようで。商売をしているのではないかと」
 私は湯治と思いたいが、当人に会ったこともないので、それ以上の話には興味はなかった。

大都会の喧騒を忘れさせてくれる豊かな自然環境

 改めて川の湯を見回した。川床から集中的に温泉が湧出してる一帯を中心に、上方と下方の2カ所に堰堤を築いて川水の流入量を調整し、堰堤の内側の湯温を42度前後に保つようにしたようだ。2つの堰堤の間は25メートル四方はありそうだから、まさにプールのようである。
 23年前、関晴館別館を取材した際に、河畔から湧く58度の源泉を150メートルほど下流にある宿まで引湯していると聞いたので、現在もそのくらいの湯温の源泉が湧いているに違いない。
 川の流れはあるもの堰堤に囲まれた川の湯の流れはゆるやかなので、真夏の炎天下のもとでは川の湯の湯温は相当に上がると思われる。その場合は堰堤下が野天風呂となる。夏だと35~37度ほどの適温のぬる湯になりそうだ。
 四季折々の豊かな自然に包まれた野天風呂だけに、大都会の喧噪を忘れさせてくれるには最高の環境である。関東は人口が多いだけに、これくらい山奥へ分け入ってこないかぎり、五感をホンモノの自然にふれさせたり、直湧きのホンモノの源泉かけ流しの温泉に出合えたり、静かな環境のなかで自分のペースで湯浴みを楽しむことはなかなか難しい。

このような自然の湯に浸かると、都会での日々のストレスが解消される。女性はバスタオルや水着OK(撮影:松田忠徳)

自分自身の気の持ちようが大切になる山奥の湯

 「今日は少しぬる目ですね?」
 「いいや、ゆっくり入っていると体の芯まで温まるから心配ない」
 その通りに相違ない。これほどの山奥まで来て、普段の生活のようにせく必要はない。自分自身の気持ちの持ちようの方が大切になる。
 今は季節の変わり目で、緑もない。間もなく萌葱色で川の湯も3軒の宿もすっぽりと包まれるだろう。何よりも秋の紅葉が凄そうだ。私はまだ写真でしか見たことはない。秋色が湯に映える時期にまた訪れる楽しみを残しておきたい。
 上がり湯に小屋がけのあつ湯に浸かってから服を着ていたら、川の湯の先客も岩風呂に入りに来た。
 「あれッ? こちらにも入るのですか?」
 「ここは源泉100%かけ流しだからね。仕上げはいつもここだよ」
 成る程。これは1本とられた。
 橋を渡り駐車場に向かうと、湯治仲間か、軽のバンのご夫婦も含め4人のお年寄りが、外に折りたたみ椅子を出して談笑していた。
 改めて、日本は豊かな国である。

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