”温泉教授”の毎日が温泉 第55回 十勝岳の露天風呂から、秋の絶景を満喫する

十勝岳連峰西部の気象条件が育む雄大な自然

 十勝岳温泉は4、5年振りである。それまでは毎年のように訪れていた。春夏秋冬、いつの季節も魅力的な温泉で、標高1,280メートルの北海道一高所にある温泉旅館「凌雲閣」は、紅葉の名所として登山家、温泉ファンだけでなく、アマチュア写真家の聖地でもある。

十勝岳温泉「凌雲閣」(北海道)から望むカミホロカメットク山(撮影:松田忠徳)

 だが、紅葉のピークを凌雲閣の部屋やレストラン、露天風呂などから堪能することはなかなか難しい。高所に立地するだけに冬が早く、雪が降ると、秋色の木々はたちまち生気を失い、絶景を逃してしまいかねない。

 標高1,280メートルの温泉旅館といっても、北方に位置する北海道の緯度と標高の関係が頭に浮かばない人には、それほど高所とは思われないにちがいない。一般に北海道の山の高さに1,000メートルを加算すると本州方面の山岳の気象条件に匹敵するといわれている。

 凌雲閣のある十勝岳連峰の主峰十勝岳は標高2,077メートルだが、本州の3,000メートル級の山岳に相当する厳しい山岳環境にあるということだ。このことをよく知らない登山者の遭難死は少なくない。最近でも2018年8月16日、愛知県の男性が強い雨と風の中で道に迷い、救助を要請してきたが、翌日死亡が確認された。2019年9月20日には千葉県の男性が吹雪に見舞われ、翌日死亡が確認された。薄いウインドブレーカーという軽装備が原因だったと思われる。

 したがって、標高1,280メートルに立地する凌雲閣から遠望する十勝岳連峰西部の厳しい気象条件の中で育まれた自然は雄大で、紅葉も下界のレベルを遙かに凌ぐ。また秋は束の間で、瞬く間に長い冬が訪れ、山岳スキーの舞台となり、欧米から大勢のパウダースノーを求めるスキーヤーが結集する。

40年近く前からフロントで電話を受ける女将さん

 4、5年十勝岳温泉の湯に浸かっていないことを思い出し、出かける2日前に宿泊の予約を入れた。女将さんは「今が紅葉のピークだと思います」とのこと。私は40年近く前からのここの常連だが、さすがに女将さんが未だにフロントで電話を受けているとは思いもしなかった。 

 「ところで、女将さん、おいくつになりました?」

 「あと4、5年で90歳になります」

 やはり凌雲閣は”効く湯”なのである。ご主人の会田さんは86、7歳とか。早くあの赤錆の露天風呂の湯に浸かりたくなった。天候に恵まれることを祈りながら。

十勝岳温泉「凌雲閣」の露天風呂と十勝岳連峰の紅葉(撮影:松田忠徳)

 山の天候は変わりやすい。確かに本州の2,000メートル級の山岳と変わりない。このことは今回も同じだった。10分か長くてせいぜい30分程度で、めまぐるしく天候は変わった。

アマチュア写真家の格好の被写体、十勝岳の紅葉(撮影:松田忠徳)

 麓から見上げると十勝岳連峰の峰々にだけ雲がかかっていた。雪が降っているのかもしれない。札幌は午前10時前で19度あったが、凌雲閣に着いた午後2時半には8度だった。夜半は氷点下にまで下がるだろう。冷え込む夜の露天風呂は痛快だろう。雲が途切れたら星たちを肴に酔いしれること必至だろう。

 江戸時代に噴火した安政火口を抱いたカミホロカメットク山周辺の紅葉を撮すアマチュア写真家が凌雲閣のテラスに群がっていた。日差しはないが、見事な紅葉だ。昨日(10月6日)が初雪だったという。今年はかなり遅いのかもしれない。私の記憶にある十勝岳の初雪は9月中旬ごろだからだ。

午後の弱い日差しに紅葉が神々しくも輝きを増す

 フロントでチェックインの手続きを済ませ、さっそく階下の露天風呂へ向かう。先客が2人いた。20代の若者だった。頭をコンクリート製の露天風呂の縁にのせ、絶景と対峙(たいじ)しながら風流な湯浴みを楽しんでいた。

渓谷にせり出した方の浴槽はぬる湯で長湯ができる(撮影:松田忠徳)

 露天風呂は渓谷に張り出すようにして2槽あり、建物側の細長い浴槽はあつ目、一方、渓谷側はこの季節にはかなりぬる目なので、寝ながら好きなだけ浸かることが出来るのだろう。

 実際、いかにも効きそうな湯につかりながら、この世のものとは信じがたい絶景を眺めていると、下界の俗界には戻りたくなくなるだろう。

 暫くすると、40代の青年が加わった。一人で十勝岳を縦走してきたという。雪の上を歩き続けたようだ。やはり麓から見た濃い雲は雪雲だったようだ。同じように仲間と二人で縦走してきた30代の若者も加わり、しばし山の話が続いた。山男たちとの会話は気持ちがいい。

 この間20分ほど、風呂から上がり2階のフロントに行くと、下界から雨雲が上がってきて、たちまち激しい雨が地面を打ち付け始めた。

 部屋で30分ほど休んでいると、テラスにまたアマチュア写真家が集まりだしていた。車の中で待機しながら、雨が上がるのを待っていたのだろう。幸運にも西の空から日差しも出てきた。私もふたたび階下へ急ぎ、また露天の鉄錆色の湯に飛び込んだ。午後おそくの弱い日差しを浴びて、カミホロカメットク山の周りの紅葉が神々しくも輝きをました。ナナカマドの赤、ダケカンバの黄、エゾマツの緑。右手の富良野岳のハイマツ帯の緑も鮮やかだ。

 西日はものの10分ほどで終わり、雲が安政火口を覆ってしまった。これで十分だ。十分に満足だ。これほど贅沢な湯浴みはそうない。自然の宝庫、温泉の宝庫、北海道ならではの自然美のハーモニーに人々は皆恍惚としていた。

1年以上の新聞連載の第1回を飾った十勝岳温泉

 35年ほど前に北海道新聞の木曜日朝刊に「湯けむり」と題して、1年6か月にわたって毎週温泉紀行の連載をしたことはこのコラムでも書いたことがある。地方紙とはいえ当時の発行部数は120万部もあったから、その反響は決して小さなものではなかった。北海道に”温泉ブーム”が巻き起こった。

 私にとっても、新聞での1年以上の連載はこの時が最初であったから、当時のことはかなり鮮明に記憶している。連載第1回がここ十勝岳温泉だったのだ。昭和60年10月3日のことである。取材は9月半ばで、76回の連載はまったくストック(書きため)を持たずに、毎週新たに取材をし直して書いた。その後も全国紙の長期連載も含め5,000本を超える原稿を書いてきたが、新聞連載に際して、新たに取材し直すというこの時のスタイルはその後も踏襲した。それだけに北海道新聞の連載「湯けむり」は”旅行作家”松田忠徳の原点とも言えるのかも知れないと、改めて思う。

 現在の凌雲閣の建物は平成6年に全面的に建て替えられたが、以下に再録する記事に出てくる凄みのある建物は、昭和38年の凌雲閣創業以来の建物のことである。

十勝の山を愛してきたご主人親子の芸術品

 カーテンを開くと、眼下に樹海が広がった。昨夜は遅く投宿して気づかなかったのだが、宿は断崖のへりに要塞(ようさい)のように立っていたのだ。山の天気は変わりやすい。太陽が出ているうちに、お目当ての露天風呂に入ってしまうことにした。

「凌雲閣」の眼下に樹海が広がり、雲海の遥かかなたに町を遠望する(撮影:松田忠徳)

 うわさの露天風呂は、地下の内風呂とつづいていた。天然の岩石をそのまま利用した内風呂は、地下といっても断崖の途中にあるため、窓もあり、外が見える。露天風呂にいたっては、深い渓谷の真上のわずかな空間を利用して造られたものだ。それだけに眺望は抜群である。ずいぶん露天風呂に入ってきたが、これは文句なしに北海道随一だ。

 正面に活火山特有の赤茶けた地肌を見せているのが、カミホロカメットク山で、懐から噴煙を噴き上げている。有名な安政火口である。右手にそそり立つ富良野岳の緑のハイマツ帯が、荒々しいカミホロと見事なコントラストをなして、ことのほか美しい。山頂には雪帽子が見える。九月半ばにして、初冠雪だという。

 下から昇ってきたガスが、あっという間にこの魅力的な山岳写真の視界を遮ってしまった。標高1,280メートル。道内一高所の温泉宿なのである。夕日は雲海の下に沈む。

天然の巨岩を取り込んだ浴場は「凌雲閣」創業当時のままだ(撮影:松田忠徳)

 十勝岳温泉凌雲閣の開湯は昭和38(1963)年。もちろん現在のような立派な道路はなく、人間と馬が資材を背負い、あえぎながら登山道を登った。「セメントの砂も、ここの山砂で間に合わせたので、もろいですよ」と、2代目の主、会田義寛さんは笑う。完成まで3年。

 先代と親子で築いた山小屋には、苦心の跡が随所にうかがえる。玄関に入るとすぐに目につく大きな岩。実はこれは階下の岩風呂の頭の部分なのだ。部屋にも岩が居候している。

 「建物がこんなに古くなって」と、会田さん夫婦は繰り返すことしきり。とんでもない。自然にさからわず、自然を生かし切ったこの宿は、十勝の山をこよなく愛してきた会田さん親子の芸術作品とさえ思えてくるのだ。

(昭和60年10月3日付「北海道新聞」朝刊。松田忠徳『湯けむりの旅 北海道』、富士書院刊。1987年に収録)

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