庄助 
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外湯 再発見 第1回 温泉津温泉元湯

"外湯"再発見 第1回 温泉津温泉元湯

 松江市郊外の玉造温泉を出て、出雲大社に参拝する。島根は3年ぶりだった。これ程間があいたのは珍しい。というのは私は鹿児島の次に島根の温泉を高く評価してきたから、年に1、2度は必ず訪れていたのだ。
 改めて島根は遠かった。高速道路の工事は遅々として進んでいない。片側一車線の国道9号線が日本海沿いに伸びているだけだから、車がスムーズに流れないのはいつもと同じだった。
 だが物事は考えようだ。地元は都会からの大量の客を待っているのだろうが、この遠さが、アクセスの悪さが、温泉の俗化をかろうじて防いでくれていたのであろうから。それが結果的に“一級の温泉の宝庫・島根”につながった。
 日本海の鉛色の冬空のように渋いモノトーンの家屋が軒を寄せ合う温泉津にようやく着いた。
 温泉津と書いて「ゆのつ」と読む。山陰屈指の古湯だが、現在の知名度はほとんどない。
 「おんせんつ」と呼ばれることが多いから、その湯質の良さと、私のように滅びてゆくもののような美しさ、わびしさを求める旅好きが止宿するくらいであった。いや、正確に言うと、日本海の幸に舌鼓を打つ粋人も、穴場としてきたに違いない。
 温泉津は名湯である。この言葉は湯質がいいだけでなく、歴史的に由緒正しき温泉だ、という意味も含んでいる。
 実際、平安時代の承平4(934)年頃に完成した百科辞典的な『和名抄(わみょうしょう)』に「温泉津」の地名が出てくる。「温泉という小村にある(みなと)」との意味だという。
 温泉津温泉は平安時代からその存在が中央に知られていたことが分かる。ここで外湯「元湯泉薬湯」を経営する伊藤家に伝わる『温泉記』によると、温泉津温泉の発見は7世紀にまで遡るらしい。
 日本海に面した温泉津は、リアス式の美しい入り江の奥に港を持ち、江戸時代には石見(いわみ)銀山の銀の積み出し港として、また北前船の寄港地として栄えた。なにしろ石見銀山に労働者が20万人もいて、海外に銀を輸出し、江戸幕府の経済を支えたというのだ。
 港から旧銀山街道沿いに温泉街が5、600メートルも続いている。大正時代にでもタイムスリップしたようなモノトーンの街並みだが、どこか懐かしく惹かれるところがある。
 狭い通りに石州瓦の小さな温泉旅館が十数軒、軒を寄せ合い、その間に土産品店、瀬戸物店、漆喰(しっくい)の土蔵、古刹(こさつ)、外湯などが点在する。現代的な色彩はほとんどなく、人通りも絶えているが、往時の(にぎ)わいの余韻が今に伝わってくる街並みなのである。
 この通りに2軒の外湯がある。最初に現れるのが「薬師湯」。つい最近まで「藤乃湯」の看板を出していた。明治5年の浜田沖の大地震の時に湧出したので、“震(新)湯”とも呼ばれている。
 有馬温泉の「金の湯」に劣らぬ濃厚な鉄錆色の“汚い湯”だが、これがまた(つう)には狂喜したくなるような薬湯。やわらかな極上湯は山陰の辺地とはいえ、足を運ぶ価値は十分にあるだろう。
 薬師湯を上回る湯質を持つのが、次に現れる「元湯泉薬湯」。なにせ由緒正しい歴史を持つのだ。
 温泉津の港が銀の積み出し港であったことはすでに触れた。徳川家康は関ヶ原の戦いを制した翌年の慶長6(1601)年、さっそく石見銀山を天領とするが、それまでは半世紀にわたって毛利家の支配下にあった。あの毛利元就(もとなり)の一族である。
 「元湯」と木造3階建ての老舗旅館「長命館」の経営者である伊藤家の先祖、伊藤重佐が元湯を開いたのは室町時代。弘治元(1555)年、重佐は毛利元就の子、元康によって“湯主”に命じられたという。現在の経営者、伊藤昇介さんで19代目だ。
 伊藤家が温泉を任せられて以来、今日に至るまで元湯は自然湧出のままなのだ。しかも風呂場の位置も約450年の間、変わりない。有馬、道後を始め、全国に名湯、古湯は数多いが、温泉津温泉元湯のような例は珍しい。
 薬師湯ほどではないが、元湯も錆色である。年季の入った狭い風呂場に2つの浴槽が並んでいる。湧出量はそれほど多くないようだが、湯は熱めで、生きている。生命力みなぎる温泉なのである。
 泉源が風呂場のすぐ外にあって、その間1、2メートルしかない。この距離の近さが抜群の鮮度を保つのに役立っている。鉄分と炭酸ガスを含んだ49度の含土類食塩泉が、源泉100%のまま浴槽に注ぎ込んでいた。湧出量が少ない分、加水しなくてもある程度、冷める。それでもこの熱さは慣れない人には少し辛いかもしれない。
 循環風呂に入り馴れた者には、この種のパワーのある温泉に最初は戸惑うに違いない。私などは産湯が温泉で、温泉場で育ったため、このようにある程度温度があり、湧き立てのパワーみなぎる湯に浸かると、全身が反応し、免疫力が高まるのを感じる。残念なことにこのような温泉は稀になってしまった。
 元湯に魅了される人々、ここの良さが分かる人々は、温泉のプロと言ってもいいだろう。シャワーがあるわけでもない、昔ながらの質素な風呂だからこそ、温泉の質、つまり心身に効くか否かで元湯の経営が成り立っているのだ。こういう温泉をプロ中のプロという。洗い場の床に湯花が付着し、黄金色に輝いていた。それは無言のうちに元湯の底力を語っているようでもあった。
 「旅館は温泉に来る人の宿泊施設。本来、主役はあくまでも温泉そのもの。ところが今は施設、料理が主で、温泉は二の次」と、19代目の伊藤昇介さん。
 厳しい言葉だが、まっとうな湯守の姿勢であると思う。体を張って温泉を守ってきた男にしかこんな名言は吐けないに違いないからだ。


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第1回 温泉津温泉元湯

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