庄助 
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第3回 腹一杯食べたい、宿の「ご飯」

第3回 腹一杯食べたい、宿の「ご飯」

 収穫の季節を終え、1年間の苦労をねぎらい、ホッとひと息つけるこの時期。昭和も30年代あたりまでなら、農作業や漁労の疲れを癒しに、そろそろ湯治へと向う段取りを始めたころだろう。ゆったりと温かな湯に浸かり、同じように遠方から1年ぶりにやってくる顔なじみと親交を温める。
「今年のできは、どうだい?」「初夏に雨が少なくて心配したけれど、まあ、なんとか」
 互いの健康を喜びつつ、作業の苦心を分かち合ううちに、いつしか気持ちもほぐれ、帰路につくときにはきっと、新しい年の栽培計画を思い描き、気力も満ちている。そうやって毎年、新たな生産に励めば、それなにり豊かで満ち足りた1年を過ごすことができた。少なくとも、これまでは。

 日本の食を代表する米。そのなかでも一級の品として認められ、世界にも知られるのが新潟コシヒカリだ。味が良いのは分かっていても、高くてなかなか手が出ない、憧れの米でもある。このブランド米が今、危機に瀕しているという話を聞いた。
 気候変動、後継者不足などさまざまな要因がそこにはあるようだが、影響が大きいのが食生活からの米離れだという。1人が1年間に食べる米の量は、40年ほど前から減り続け、現在は当時の半分になっているそうだ。経済成長とともに進んだ食の多様化、欧米化がその背景にあるのは間違いない。さらに少子化傾向で人口の減少が続き、“食べ盛り”の子供たちが少なくなれば消費量がさらに落ち込む可能性は確かに高い。
 こうしたことの影響は、何もコシヒカリに限ったことではないはずだが、消費量の減少にともない、収益性の高いこの品種の栽培が増えたことが厳しい状況を招いたひとつの遠因という。そして、“米余り”のなか、買い取り価格を下げる農協が増え、コシヒカリの生産者を圧迫しているそうだ。
 国では現在、食糧自給率のアップを目指して国内農業の保護策を検討中だが、その一方で、平成5年のウルグアイラウンドで一部米の輸入を受け入れたのに続き、完全自由化へ向けた圧力も強まっている。アメリカでも中国でも、日本の米に退けを取らないおいしい米の生産に力を入れているといい、今後、こうした外圧の影響も心配される。
 米は日本人にとって、ただの食糧ではないのではないか。稲穂が揺れる田園風景、稲架(はさ)掛けの壮観、収穫を祝う秋の神社祭----。米は生活の象徴であり、最も日本らしい文化といっていい。もっとも、それだから急に白米を昨日の倍食べろといってもそれは無理は話。ならばせめて、温泉行へと向かった際には、地元の食材とともに宿の「ご飯」を腹一杯、食べようかと思う。湯に浸かり、地域の農業者の話にも、耳を傾けてみたい。

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