庄助 
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温泉エディトリアル 第3回

第3回 驚愕の数値

 さて、野沢温泉の酸化還元の効果はいかなるものか。
 測定のために向かった河原湯は、野沢温泉の共同浴場のひとつです。少し脱線しますが、野沢温泉のすばらしい制度をご説明しておきましょう。
「外湯」と呼ばれる共同浴場は、野沢温泉ではなんと無料で開放されています。しかもその数は13箇所。源泉は30数箇所あるそうです。人口は約4500人ですから、贅沢な話です。
 この外湯は、地域の住民の方々が「湯仲間」という制度を作って管理と運営を行う手作りの湯。電気代や水道料金はこの「湯仲間」で負担し、当番制で毎日掃除をするのです。源泉がどんなに豊かでも、設備があってこそ楽しめます。愛情たっぷりの湯です。
 小さな街をそぞろ歩くと「麻釜(おがま)」という源泉の景観にも驚かれることと思います。「大釜」「茹釜」「丸釜」「下釜」「竹伸し釜」といったお湯が畑のように連なっています。地元の方は「湯畑」という言葉を普通に使っていらっしゃるのですが、そもそも「湯畑」なんぞという言葉が生まれること自体がおもしろいことですよね。
 昔から、伐り取ってきた麻をこの湯に浸して堅い皮をむいたことから、この名前がついたそうです。今では「野沢温泉の台所」と呼ばれているそうで、地元の方々は山菜や野菜をここで茹でるとか。観光客は立ち入り禁止ですが、私が行ったときも地元のおかあちゃんたちがせっせと野菜を茹でていました。ここで野沢菜をゆでたり、卵をゆでたり。麻釜の温泉卵の味を想像しただけで、よだれが出そうな……。
 野沢温泉の「発見」には多くの説があります。一説によると聖武天皇の時代の行基にさかのぼるそうですが、湯治という形で庶民が利用するようになったのは江戸時代からだとのこと。藩主の松平氏が「大湯」(外湯のひとつ。野沢温泉のシンボルとなっている、豪華な建物を持つ「惣湯」と呼ばれてきた温泉です)に別荘を建て、住民にも湯治を許可して以来だそうです。
 農家の人々が農閑期に「ごくろう休み」に訪れることが多かったといいます。湯治は東北地方でも盛んですが、農閑期に身体を休める目的で行われたという趣旨はどこも変わらないようです。ただし、その中でも野沢温泉のとんでもないところは、これを江戸時代から「湯仲間」がずっと守ってきたということでしょう。太平洋戦争で日本の社会や制度は大きく変わったと思いますが、「湯仲間」の制度は変わることなく今の時代にまで伝えられています。貴重なお湯を愛する気持ちは、村の制度となって脈々とつながっているのです。「麻釜」が日常生活で今も利用されていることといい、日常と温泉が密接に結びついている。これは驚嘆すべきことだと思います。
 話を戻しましょう。河原湯です。5分は浴槽に浸かるようにという指示を一生懸命に実行しました。効果が薄れちゃ困る、成分はすべて吸収してやる、という貧乏根性ですから、水を足して薄めることもしなかったので、ちょっとした我慢大会でしたが……さっそく組合事務所に戻って、またしても測定です。
 具体的なデータは、東京に戻ってから郵送でいただいたのですが、ここで公開してしまいましょう。入浴前のデータは、ORPが346、pHが4.18、入浴後のデータはORPが276、pHが5.15です。なんと、酸化還元の数値が減り、中性度が上がっている。ちなみにpHの知識がぼんやりしている方のために解説しておくと、pHとは、酸性やアルカリ性の値を表すときに使う数値です。0から14で表され、7が中性。7より小さくなるほど酸性が強く、7より大きくなるほどアルカリ性が強くなるというわけです。
 つまり、私の左腕の酸性度は下がっていたわけです。おまけに、河原湯の数値は、ORPは−193、pHは8.20なので、明らかに温泉の数値に近づいていました! 実際に触ってみるとつるつるつやつや。自分の体で効果を体験できるとなるとやはり違います。なんと、まあ。
 私の場合は、たった一回の入浴での測定でした。そうなると気になるのは、長期で入浴したらどうなるのか。温泉宿の仲居さんの肌つやをうらやましく思った経験を持つ方も多いはず。野沢温泉では、なんとその実験を20名のモニターに2ヶ月にわたって行ったそうです。次回はそのご紹介をいたしましょう。日本初の試みです。その結果やいかに?


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