庄助 
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編集長の毎日が温泉 第1回

第1回 今年も初湯は定山渓温泉

 1月×日 
 今年最初の温泉は、昨年に続き定山渓温泉の「ホテル山水」。家内、娘の3人で私の“主治湯”に入る。昨年は、免疫力が落ちている時に、つい軽い気持ちで食品添加物だらけのソーセージを食べて物の見事に全身にじんましんが出た。かゆくて眠られそうもないので、ホテル山水に直行したものだ。山水の湯は食塩泉で、もちろん源泉100%かけ流し。血行を良くして解毒作用を促す必要がある。入浴に専念する一方で、昨年ご主人の二宮さんが自ら造った温泉を利用したミストサウナにも初めて入り、発汗作用を高める。入浴とサウナを繰り返すこと40分。2日通って薬を全く使わず発疹もかゆみも消すことに成功。全ての病気は血流障害からくるとの持論を、こうして温泉でまたひとつ確認した。それにしても昨年6月は18回も飛行機に乗るハードさだったので、免疫力が相当に低下していたにちがいない。
 正月明けの4日なのに、山水は満館状態。40室程の小さく、地味な宿だが、いい温泉宿が賑わうというのは嬉しいものだ。年末、伊豆の伊東温泉で引いた風邪を、正月も少し引きづっていたが、山水の湯で回復した。
 「安物のソーセージを食べたぐらいでじんましんが出るなんて」と思われる方もいるかもしれない。私も15センチ位のソーセージを2、3本食べてまさかこれ程と、安易な気持ちで口にしたのだが、家内も同じように反応した。
 これはインチキを避け、私たちの極力正しい食品を使用する日々の努力の成果だと考えている。茶目っ気のつもりで食べたのだが、やはりニセ物は私には通じないのか。むしろ安心した。インスタントのカップ麺を食べただけでも、防腐剤などが原因して、首筋などが少しかゆくなる。水道の水を飲まなくなって今年で19年目になる私には、カップ麺を食べた時の反応は正常な人間のものだと考えている。水道水を飲まないのは、金魚でもすぐ死ぬ殺菌のための塩素が含まれているからだ。湧き水を飲み続けている。
 ただし、私はアレルギー体質ではない。何でも好き嫌いなく食べられるし、もちろんアトピーにも、花粉症にもなったことはない。生まれてこの方58年、入院したこともない。ここ5、6年は病院にもかかっていない。


 1月×日 
 平成19年の本格的仕事開始。週刊「労働新聞」と月刊「旅行読売」の連載原稿を書く。PHP新書で刊行する『ふたり温泉旅』(仮タイトル)のゲラチェックを開始する。本当は2年前の正月にすべき作業。担当者には心底から申し訳ないと思う。


 1月×日 
 1月第2週目の明日から、今年最初の取材旅行に出かける。9日間の長期になるため準備に時間がかかる。出かけるためにはその間の連載原稿を仕上げておかなければならない。今日も徹夜必至。
 夕食後、昨年10月に開始した日本経済新聞の連載「古湯を歩く」(土曜日・朝刊)の15回目「嬉野温泉」の執筆準備開始。資料・取材ノートを読み返す。嬉野の名物である温泉湯豆腐と地酒、そして温泉を愛した放浪の俳人、種田山頭火を登場させることにする。
 山頭火は昭和7年の「行乞記」にこう記している。
 「嬉野はうれしいところです。湯どころ茶どころ、孤独の旅人が草鞋をぬぐによいところです。
 私も出来ることなら、こんなところに落ちつきたいと思います、云々」
 佐賀県の嬉野温泉は、高温のアルカリ性の温泉で知られ、昔から美人の湯として有名だ。このアルカリ性の温泉を湯豆腐に使うと、豆腐がとけ出してその風味がなんともいえない。嬉野の温泉豆腐は江戸時代から伝わるものと言われているが、文献は明治時代のものしか残されていない。
 温泉豆腐を食べた後、豆腐がとけた温泉が牛乳のような汁になって残る。汁も美味だが、雑炊にしたらなお旨い。「大正屋」や今回取材のために泊宿した大正屋の別館「清流」などで食べられる。
 山頭火が昭和7(1932)年3月14日に嬉野を訪れたのは再訪で、1か月半前の1月31日にも1泊している。
「飲んだ、たらふく飲んだ、造り酒屋が二軒ある。こちらの酒もよろしい、酒銘『一人娘』『虎の児』。武雄温泉にはあまり好感が持てなかった。それだけにこの温泉には好意が持てる」
 「虎の児」の酒造元では最近、「古湯」を売り出した。私の日経新聞の表題「古湯を歩く」を記念してくれているようで、嬉しくて1本正月用に買ったものだ。ところが飲み忘れて現在も書斎にとってある。
 嬉野の温泉街にある造り酒屋の前に、山頭火の句碑があった。
 「湯壷から桜ふくらんだ」
 の句が刻されている。
 私は
 「ゆっくり湯に浸り沈丁花」
も好きだ。いずれも嬉野で書かれたもの。こんな良い句が生まれるのだから、よほど、嬉野の風土は山頭火に優しかったにちがいない。私も下町のような雰囲気を持つ嬉野の方が、武雄より好きだ。武雄が嫌いというわけではない。どちらでも講演をしたことがあるし、佐賀は遠いが年に1度は訪れている。山頭火は下町風の温泉場が好きだったにちがいない。武雄は現在もそうだが、「武雄温泉」のシンボル朱色の楼門に頼り切っていてどこかよそよそしい。
 山頭火の名が出てきたので、ついつい長くなってしまった。「古湯を歩く」を深夜午前2時過ぎに書き上げる。
 もう1本の原稿、ニセコの観光広報誌「BYWAY 後志」だが、どうするか。昨年末〆切りだったが、このまま中国地方に取材に出てしまったら、先方も困り果てるだろう。疲れているが、書くことにする。
 4時半に仕上がる。外は明かるくなっている。2本の原稿をFaxで送る。本当は9日間留守にするので、日経新聞の「古湯を歩く」をもう1回分書かなければ出られない。9時半過ぎには家を出て、自分の車で新千歳空港に向かわなければならない。もう1本書く体力も気力もない。仕方ない。予定より早く戻り、家で書こう。家内も連れて行くので、航空運賃、2人分のキャンセル料は痛いが、体力を温存しておかなければ取材先で倒れかねない。昨年は秋から年末にかけて毎週飛行機に乗って飛び回っていたので、体に気を付けておかなければならない。
午前5時15分寝る。

 1月×日 
 8時半に起きる。さすがに体は辛い。年中こんなことをしていてもなんとか持っているのは、やはり”温泉力”の賜物。それに食生活。本当にそれ以外考えられない。
 毎週1回は明け方まで原稿書きをし、神経をすり減している。7、8年前までは週に2、3回はこんなことをしていた。運動は全くしていないので、温泉の力を最大限に引き出す入浴法しか、この健康な肉体の説明のしようがない。でも、そろそろ運動をしなくては体力消耗と健康力のバランスが崩れかねない。もう20年は山歩きをしていないのだ。

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