庄助 
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第1回 湯たんぽの思い出

第1回 湯たんぽの思い出

 暑い時期に何の話題かと思われるかも知れないが、先日ふと、湯たんぽのことが思い浮かんだ。
 高校の頃だから、だいたい30年くらい前まで、冬の朝の洗顔は湯たんぽだった。ひと晩使った湯たんぽの湯を洗面器に移し、それで顔を洗っていた。朝、家族は各自の湯たんぽ(今風に言えば「マイ湯たんぽ」)を抱えて、入れ替わり洗面所に向かう。こぽこぽ、とぷとぷと洗面器に湯をあける音が、妙に懐かしく耳に残っている。
 当時、確か簡易型のガス湯沸器すらまだなく、少なくとも我が家では蛇口から湯が出ることはなかった。もう、湯たんぽはいらなくなる春先、実はこの雪解け水のシーズンが一番、水道水が冷たく、洗顔のために薬罐で湯を沸かして凌いでいた。それも不経済というので、よほど我慢できないときに限られていた気がする。
 高校を出ると実家を離れてしまったので、その後の経緯は分からないが、久しぶりに帰省すると家は建て替えられ、そして蛇口からは、湯が出た。90年代、世間はバブルへと登りつめようとしていた時期のことだ。
 蛇口をひねりさえすれば、いつでも温かな湯が出る。その快適さ、ありがたさ。大げさでなく、昨日とは世界が変わったという気がしたものだ。しかし、そのことに何も感じなくなるまで、そう時間はかからなかった。最初は、むしろ違和感さえ覚えることでも、目の前にいつもあると不思議でもなんでもなくなる。
 街のなか、それも住宅地の真ん中に温泉が湧くと聞けばきっと、どこかひっかかるものがあるだろう。そんなはずはない。けれども見回せば、そうした温泉施設が近くに一つやふたつ、見つかるのではないだろうか。温泉掘削とともに噴出する有機ガス、その爆発による悲惨な事件が東京の都心で起きた。原因は技術的な対策不足ということで、経営者、管理者の責任が問われる模様だが、果たしてそれで一件落着として良いのか。
 温泉に浸かりたい。しかし時間と手間をかけたくないし、余裕もない。そんな「ニーズ」に応えるべく全国津々浦々、街の中心部に温泉施設ができ、今もつくられている。
 そこにどこか違和感を覚える感性、今必要なのは、そういうことではないだろうか。などと考えつつ、蛇口から出る湯で顔を洗っている。

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